愛する自由を求め続けた男の20余年に渡る物語『大いなる自由』
第二次世界大戦後のドイツ、男性同性愛を禁ずる法律が公然と施行されていた時代。
痛みを知る者は、なぜこんなにもやさしいのか。
「刑法175条」男性同性愛を処罰の対象とする法によって何度も投獄されながらも屈することなく生き続ける男と、内に秘めた痛みを抱えながら刑務所での日々を過ごすかつて殺人を犯した男。
共通点などないかのようなふたりを繋いだのは、絶望を知るが故の限りないやさしさだった。
Story:
戦後ドイツ、男性同性愛を禁じた刑法175条により、ハンス(フランツ・ロゴフスキ)はその性的指向を理由に幾度も投獄されていた。
刑務所内でハンスと同房になったヴィクトール(ゲオルク・フリードリヒ)は、「175条違反者」であることを知り嫌悪も露わに彼を遠ざけようとする。
だが、ハンスの腕に刻まれた番号に気づいたヴィクトールは、彼がナチスの強制収容所から直接この刑務所に送られたことを知り、嫌悪しつつも同情を寄せるようになっていく。
何度も懲罰房に入れられても己を曲げない静かなる「頑固者」ハンスと、殺人を犯したものの長年の服役によって刑務所内での振る舞いを熟知している模範囚のヴィクトール。
なにもかも違うふたりだったが、ハンスが心から愛する者を失った時、その痛みを理解し、受け止めたのは彼を嫌悪していたはずのヴィクトールだけだった。
愛する人を失う痛みを知る者だけがもっているやさしさは、嫌悪や友情を超えた愛へと昇華してゆく。
Behind The Inside:
男性同性愛を「獣姦」同様に処罰の対象としていた「刑法175条」
「第175条 自然に反する淫行は、男性間でなされた場合でも、男性と獣との間でなされた場合でも、禁固刑に処せられる。また、それに加えて、公民権の剥奪を言い渡すこともできる 。」
ドイツ帝国刑法175条はドイツ帝国成立のわずか数カ月後、1871年5月に制定された。男性同性愛行為と獣姦を「自然に反する淫行」として処罰することを定めたいわゆる「ソドミー法」であり、ヴァイマル共和国およびナチス・ドイツの時代には厳罰化が進んだ。
その後、第二次世界大戦での敗戦を経てドイツはドイツ連邦共和国(西ドイツ)とドイツ民主共和国(東ドイツ)に分断。
西ドイツではナチス・ドイツ時代と同一の条文を1969年まで使用しており、以後は成人男性間性交が非犯罪化され、適用範囲を縮小。さらに1973年に罰則の緩和が行われ、最終的にドイツ再統一後の1994年になってから撤廃された。
同性愛行為に対する罰則規定が削除されるまでの約120年間で処罰された者は14万人に達するとも言われている。処罰者が多かったのはナチス期と戦後であり、1871~1918年の有罪判決数は年間500件以下にとどまった。
ちなみに刑法175条は、男性同性愛者を処罰の対象としている。
1907年には女性の同性愛者も処罰対象に盛り込んでいたが、女性同性愛はその存在さえ否定されたことから当事の議会はこの案を却下。違法とは明記されていなかった。
一方の東ドイツではドイツ共産党が一貫して175条に反対していた事もあり、1950年代に同性愛行為に対する罰則規定を削除した。1968年、政府は政治犯の厳罰化を主目的に刑法改定を行ったが、この中でいくつかの軽犯罪に関しても見直しが行われ、成人と青少年の間で行われる同性愛行為が新たに処罰の対象となっている。ただし、それ以後も成人男女間の同性愛行為は処罰の対象とされておらず、1988年には再び同性愛への罰則規定が削除された。
その後1999年に、ナチス・ドイツにて迫害された同性愛者たちのドキュメンタリー映画『刑法175条』(Paragraph 175)がアメリカで制作され、日本では山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映されている。
『大いなる自由』予告編
Awards:
- 第74回カンヌ国際映画祭:ある視点部門・審査員賞・セバスティアン・マイゼ
- 第94回アカデミー賞国際長編映画賞 オーストリア代表
- 第3回ヨーロッパ映画賞:最優秀作曲家賞・ニルス・ペッター・モルヴェル、ペーター・ブロッツマン
- 第3回ヨーロッパ映画賞:最優秀撮影監督賞・クリステル・フルニエ
- オーストリア映画賞:最優秀長編映画賞・最優秀監督賞・セバスティアン・マイゼ
- オーストリア映画賞:最優秀俳優賞・ゲオルク・フリードリヒ
『大いなる自由/Great Freedom』(2021年・オーストリア、ドイツ・1時間56分)
監督:セバスティアン・マイゼ
出演:フランツ・ロゴフスキ、ゲオルク・フリードリヒ、アントン・フォン・ルケ、トーマス・プレン 他
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