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ジェントリフィケーションという名の暴力に一夜をかけて抗う女の物語、現代アメリカの貧困と尊厳を刻みつける問題作『それでも夜は訪れる』

ワーキングクラスの魂を書き続けた小説家ウィリー・ヴローティン。

倉庫労働者でありペンキ職人でもあったみずからの経験をもとに書き重ねた6作目の小説が原作。

2021年の原作小説を、ドラマシリーズ「ザ・クラウン」の製作総指揮を担ってきたベンジャミン・カロンが監督し、脚本家サラ・コンラットが脚本を手がけて映画化。

貧困、ジェントリフィケーション、家族の呪縛。一晩という制限時間の中でひとりの女が見せる必死の抵抗と、そこに透けるアメリカ社会の現実を描いた緊迫と切実さに満ちた問題作。

ヴァネッサ・カービーの体を張った熱演が全力で映画を支えているが、その熱量がかえって映画の限界を照らし出すという、複雑な評価を受けた野心作でもある。

© 2025 Netflix Studios, LLC

Story:

物価が高騰したアメリカ北西部の都市ポートランド。家族と暮らす家から強制退去を迫られている32歳のリネット(ヴァネッサ・カービー)は、違法なことにも手を出し複数の仕事を掛け持ちしながら30年来住み慣れたその家を買い取るためにコツコツと頭金を貯めてきた。ローン契約まであと一週間というタイミングで、母ドリーン(ジェニファー・ジェイソン・リー)が突然約束を反故にする。残り一晩で2万5千ドルをかき集めなければならなくなったリネットは、ダウン症の兄ケニー(ザック・ゴッドセイゲン)と母を守るため、夜のポートランドへと飛び出す。旧知の元犯罪者コーディ(ステファン・ジェームズ)、かつての稼業仲間で今は裕福な男に囲われているシャナ(ジュリア・フォックス)、定期的に金を払ってくれていた男(ランドール・パーク)、リネットが頼れる相手は、いずれも一筋縄ではいかない人物ばかりだった。


Behind The Inside:

歌い、書き、生き続けた男、ウィリー・ヴローティンという存在

日本ではさほど名が知られていないヴローティンだが、アメリカ西海岸の文学シーンでは確固たる地位を築いている作家だ。過去に原作小説から映画化された作品は、『ランナウェイ・ブルース』(2012年)『荒野にて』(2017年)の2作品がある。1967年生まれ、ネバダ州レノ育ち。ポートランドを拠点にするオルタナティブ・カントリーバンド、リッチモンド・フォンテインのリードシンガー、ギタリスト、ソングライターとして1994年から2016年まで活動を続けた。倉庫労働やペンキ職人で生計を立てながら小説を書き始め、ジョン・スタインベック、レイモンド・カーヴァー、トム・ウェイツ、ウィリー・ネルソンら小説家、ミュージシャンから影響を受け、ワーキングクラスの物語を書き続けてきた。ノーベル賞作家アーシュラ・K・ル=グウィンが「現代アメリカに生きる人々を本当の意味で描ける作家」と絶賛したほどの評価を得ている。

90年代にポートランドへ移り住んだとき、ヴローティンは「ハードな生活を送るペンキ職人」だった。20年かけて2万ドルを貯め、7万ドルのボロ家を買った。その家の鍵を受け取る2日前、バンドの仲間と夜こっそり忍び込んで暗い台所でビールを飲んだ。その経験が、本作の魂となった。本作はその家を買えたポートランドへの献辞であり、今や全米で最も住みたい街とまで言われるようになったが、昔から質素に暮らしてきた庶民的な人々にとっては住み辛くなってしまったこの街への挽歌でもある。

「住宅価格が15年で4倍になった。3つの仕事を掛け持ちしても、週7日24時間働いても、家が買えない。この小説は2008年の住宅危機への応答として書いた」とヴローティンは語っている。再開発や文化的活動から街に富裕層や中間層が流れ込んでくることで地価や家賃が高騰してしまう問題を表す用語、ジェントリフィケーションが最大の悪役であり、リネットの周囲に配置された人々は貪欲さの「化身」として機能する。フィクションだが、限りなく現実に近い物語なのだ。

ポートランドという街、LAでもなく、シアトルでもない場所の寂しさ

撮影はヴローティンの街、ポートランドで行われた。夜の街に映し出されるのは、LAのような乾いた煌めきでも、シアトルのような陰鬱な雨でもない。ファストフードの看板、鉄橋、薄暗い住宅街、古いアンティーク店、どこか東側の大都市にも西側の地方都市にも見える、あの特有の「どこでもない場所感」がポートランドにもある。それがかえって、リネットの孤立感と「こことは別の場所に行けるかもしれない」という幻想の両方を映し出す。ダミアン・ガルシアによる撮影は、新しい建物の無機質な外観と、リネットが守ろうとする家の擦り切れた親密さを対比させることで、街そのものを居心地の悪い敵として描き出す。

「ザ・クラウン」の女王から貧困の夜へ、カービーが本作を選んだ理由

ヴァネッサ・カービーがベンジャミン・カロンへ原作本を送ったことがすべての始まりだった。ふたりは、人気ドラマシリーズ「ザ・クラウン」以来、再び組む機会をずっと探し続けていたが、コロナ禍で一度企画が流れ、2024年にようやく実現にこぎつけた。

「スクリーンでリネットのような人物はあまり描かれてこなかった。それが私たちがリスクを冒して取り組んだ大きな動機でした」とカービー自身が語っている。「ザ・クラウン」でのプリンセス・マーガレット、「ミッション:インポッシブル」でのエレガントな悪役、「ナポレオン」での皇妃ジョゼフィーヌ、とカービーがスクリーンで体現してきたのは、常にどこか別の世界に生きる人物だった。本作のリネットは、その正反対に位置する人生のどん底にいる存在だ

本作は、カービー自身のプロダクション・カンパニー「アルナ・エンタテインメント」が初めて、世に送り出した長編映画でもある。リネットを演じる上でのカービーの覚悟の程が分かる。

撮影に入る前、カロンはキャスト・スタッフをポートランドのシアターに集め、ジョン・カサベテス監督の1980年の映画『グロリア』を上映した。リネットのキャラクターはジーナ・ローランズ演じるグロリア・スウェンソンをモデルにしており、無垢な者を守るために全力で戦う女という共通点がある。カービーはこの準備を経て、かつてジョン・カサベテス作品の美学が体現した即興と衝動的な演技を計算された演出でコントロールする演出理論「制御されたカオス」を身体に落とし込んだ。

そして撮影現場では、ジュリア・フォックスがカービーにアメリカのスラングを教える場面もあった。イギリス育ちのカービーにとって、言葉の質感からリネットの生きる世界に染まることは必要不可欠な作業だったのだ。

善悪の境界線を静かに溶かしてゆく物語

リネットは「かわいそうな貧困者」ではなく、最初から違法な稼業に片足を突っ込んでいる女であり、物語の中で盗みまで犯す。観客は「応援したい」と「でもそれは許されない」という相反する感情を同時に抱えながら、映画を最後まで見続けなければならない。この「道徳的な宙吊り感」こそが本作の核心であり、ヴローティンが原作小説で描こうとしたテーマでもある。貧困の中では善悪の境界線が静かに溶けていくというリアリティだ。

原作小説であれば、読者はリネットの内側に入り込み、その判断の瞬間を自分のこととして体験できる。だが映画という形式は、観客をどうしても「外側から見る者」の位置に置く。カービーがどれほど内側から役を生きようとしても、スクリーンの外にいる観客はリネットを眺め、判断し、距離を取る。そしてカービーの佇まいの美しさが、その距離をさらに広げてしまう。問題の核心はここにある。カービーがどれほど全霊を注いでも、彼女の「美しさ」という事実は映画のリアリティに微妙な亀裂を入れ続ける。カービーの熱量だけが映画の中で飛び抜けており、それがかえって周囲との落差を際立たせた。

映画全体の評価は、批評家の間で賛否が割れた。ヴァラエティ誌の批評は「ヴローティンの原作を支えていた、生きた経験から生まれた確信が、この映画化作品まで届いていない」と指摘している。

ヴローティンが倉庫で働き、ペンキ職人をやりながら書いた物語の強度と、洗練されたテレビドラマの作り手が誠実に再現しようとした物語の間には、埋めきれない溝があったのかもしれない。


Night Always Comes | Official Trailer | Netflix

Vanessa Kirby plays Lynette, a flawed, yet determined, anti-heroine who embarks on a dangerous, one-night odyssey through Portland’s criminal underbelly in a desperate attempt to gather enough cash to keep her family from eviction. Based on the best-selling novel by Willy Vlautin, Night Always Comes is directed by Benjamin Caron and debuts only on Netflix, August 15.


Under The Film:

愛憎入り混じる母娘、ジェニファー・ジェイソン・リーという壁

ドリーン役のジェニファー・ジェイソン・リーは、リネットにとって「乗り越え難い壁」だ。娘の犠牲を無意識に当然のものとして受け取り、それを娘のせいにする——いわゆる「毒親」の典型的な振る舞いを、ジェイソン・リーは体当たりで演じた。「嫌な母親役」に見える、というよりもむしろ、「こういう人間は本当にいる」という生々しさがある。カロンは「ジェニファーが持ち込んでくれたのは、32歳の娘がまだ家にいることへの複雑な感情と言葉にできないことの重みだ」と語っている。ただ、カービーとジェイソン・リーの年齢差が母娘には見えづらいというリアルな問題も、映画の没入感を妨げる要因のひとつとなった。

貧困は「研究して近づくもの」ではなく「生きて刻まれるもの」

労働者を描くヴローティン文学の精神に最も誠実に向き合うべくカロンもカービーも貧困を「理解しようとした」ことは間違いない。ポートランドでロケを敢行し、カサベテスの『グロリア』を全員で観て、それぞれのキャラクターの背景を丁寧に掘り下げ出演者たちとカロンは向き合った。その誠実さは画面から伝わる。でもリアリティはまた別物で、貧困は「研究して近づくもの」ではなく「生きて刻まれるもの」である。本作でもいかに本当の感情に演技された感情が近づけるのか?という役者の役作りの難しさの喩えとして語られる「エンパシーの限界」にぶち当たるのだ。


『Night Always Comes / それでも夜は訪れる』(2025年・アメリカ・イギリス・1時間48分)
監督: ベンジャミン・カロン 脚本: サラ・コンラット(原作:ウィリー・ヴロウティン)
出演: ヴァネッサ・カービー、ジェニファー・ジェイソン・リー、ザック・ゴッドセイゲン、ステファン・ジェームズ、ジュリア・フォックス、ランドール・パーク、マイケル・ケリー、イーライ・ロス
© 2025 Netflix Studios, LLC

それでも夜は訪れるを観る | Netflix (ネットフリックス) 公式サイト

生活費が高騰した都市で、家族と共に暮らす家から強制退去を迫られる女性。一晩で2万5000ドルをかき集めなければならなくなり、絶望的な状況のなか、危険に飛び込んでいく。 予告編を観て詳細を確認。


Reels:

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