
『HOPE』ナ・ホンジン、10年の沈黙を経てカンヌ・コンペティションを「異星人」が占拠する——マイケル・ファスベンダー、アリシア・ヴィカンデル、テイラー・ラッセルが参加する韓国映画史上最高額の製作費。上映後7分間のスタンディング・オベーションと、世界の批評家を二分した問題作。——ナ・ホンジン最新作『HOPE』、第79回カンヌ国際映画祭コンペティション部門上映
『哭声/コクソン』から10年——韓国映画最大の”謎”が、ついにカンヌに解き放たれた。
韓国映画史上最高額の制作費、推定₩500億(約34億円)。名匠ホン・キョンポがカメラを回し、マイケル・エイベルズが音楽を担う。
マイケル・ファスベンダー、アリシア・ヴィカンデル、テイラー・ラッセル——韓国映画に、これほどのハリウッド・キャストが揃ったことがあっただろうか。
ナ・ホンジンのカンヌ参加4度目にして、初のコンペティション選出。審査員長は盟友・パク・チャヌク。
上映後7分間のスタンディング・オベーション。しかし批評は真っ二つに割れた——それが本作を「絶対に見逃せない!」と確信させる。

Story:
韓国と北朝鮮を分断する非武装地帯(DMZ)に程近い、山間の過疎集落「ホープ湾(Hope Harbor)」。人口の大半は老人で占められ、交番には所長のポムソク(ファン・ジョンミン)と若い女性警官ソンエ(ホヨン)が詰めているだけだ。
ある日の夜明け、家畜が謎の惨殺体で発見される。ポムソクが現場に向かうと、それは始まりにすぎなかった。車も建物も紙細工のように吹き飛ばし、人間を文字通り破壊していく何かが、村に侵入しつつある。折悪しく、大規模な山火事への対処で、警察も軍も全て遠方に駆り出されており、ホープ湾は外界から孤立した状態に置かれる。
村人たちのパニックが頂点に達する中、やがて姿を現すのは一体の”侵入者”ではなく、独自の言語と掟を持つ一族だった。その一族の「王家」として君臨するのが、マイケル・ファスベンダー、アリシア・ヴィカンデル、テイラー・ラッセルが演じる存在——彼らが何者で、何を求めてここにいるのかは、明らかにされない
Behind The Inside:
ナ・ホンジン——10年の沈黙が意味したもの
2016年の『哭声/コクソン』が全世界の映画ファンを震撼させてから、実に10年。その間、ナ・ホンジンが次作についての続報を発するたびにメディアはざわめき、プロジェクトの輪郭が幾度も変わったという噂だけが流れ、しかし何も確定しないまま時が過ぎた。その沈黙の根拠は今回のカンヌでようやく明かされた。監督は2017年、ソウルのレストランで食事中にある「一つの映像」が脳裏に浮かび、そこから本作の構想が始まったと語っている
カンヌへの参加は今回で4度目となるが、初のコンペティション選出だ。2008年の『チェイサー』(ミッドナイト・スクリーニング)、2011年の『哀しき獣』(ある視点)、2016年の『哭声』(アウト・オブ・コンペティション)——毎回、セクションを上げてきたナ・ホンジンが、ついに頂上に到達した形だ。
ポン・ジュノの『グエムル-漢江の怪物』が連想させるもの——なぜ今、SF/モンスター映画なのか
本作の発表時、筆者が最初に思い出したのはポン・ジュノの『グエムル-漢江の怪物』(2006年)が公開された時の衝撃だった。「韓国映画でモンスター映画?」という意外性と、実際に完成作品を観たときの「ちゃんとエンタメとして成立している」という驚き。『HOPE』に対してもまったく同じ感覚を覚える人は、少なくないはずだ。
なぜナ・ホンジンが今、SFとモンスター映画を選んだのか。ヨン・サンホのゾンビが『新感染』というメガヒットに化けたように、韓国映画界の閉塞感を打破し、より幅広い観客に訴求する映画を——業界もそれを望んでいる状況での選択ではないか。ハリウッド・スターの起用、韓国映画史上最高額とされる製作費、Neonによる北米・英国・豪州配給権の先行取得、Mubiによるラテンアメリカ・欧州各国への権利買い取りと、ビジネス面での布石は『哭声』とは別次元のスケールで打たれている。
空間の緊張感を画面に宿らせることができる異能の撮影監督——名匠ホン・ギョンピョ
本作の撮影監督は、『パラサイト 半地下の家族』(2019年)『バーニング』(2018年)そして『哭声』で知られる韓国の名匠ホン・ギョンピョ。ナ・ホンジンとのコンビは『哭声』以来10年ぶりの再タッグとなる。批評が割れた本作において、ほぼ全ての論者が唯一無条件に称賛するのが撮影だ。「ほぼ全編が昼間に展開するアクション映画でありながら、この流れるようなカメラワークは信じ難い」(THR)という声が象徴するように、夜や薄暗さに頼らずに恐怖と緊張を画面に宿らせる力を放つホン・ギョンピョのカメラワークが本作の水準を一段も二段も引き上げている。
マイケル・ファスベンダー&アリシア・ヴィカンデル——その正体
ファスベンダー、ヴィカンデル、テイラー・ラッセル、キャメロン・ブリットンが演じるのは「Gh’ertu(グェルトゥ)」と呼ばれる一族の「王家」の面々だ。彼らはモーションキャプチャーとフェイシャルキャプチャーを駆使した演技で登場しており、登場当初は誰がどの俳優かほとんど判別できない。上映中、批評家の間で最も賛否を呼んだのもこの表現——「斬新な異化効果」と取るか、「CGIの拙さを露呈している」と取るかで評価が真っ二つに割れた。
ファスベンダーは今年のカンヌのレッドカーペットで夜の上映であるにもかかわらずサングラスをかけて登壇していた。映画の中で自身が演じるキャラクターへの”アリバイ”なのか、それとも単純なスタイルなのか——真意は不明だが「Gh’ertu」一族のキャラクター性——感情を外界に見せないという設定——とのリンクを意識した可能性が考えられなくもない、そういう知性的な遊びができる俳優の佇まいはある種の示唆を漂わせていた。
上映後7分のスタンディング・オベーションと、割れた批評
リュミエールでの上映終了後、客席は7分間にわたるスタンディング・オベーションに包まれた。2,500人超の観客がいた会場の外のパレ・デ・フェスティバルの大型スクリーンにも、その喝采の様子が中継されていたという。しかしその熱狂と裏腹に、批評家の評価は鋭く割れた。
アクションの純度に関しては全員が認めている。割れているのは、160分の長さに見合う『物語の重み』があるかどうか、そしてVFXの粗さを許容できるかどうかの二点に絞られる。
Under The Film:
2026年に異星人を撮ることの意味
米・Deadline誌は「移民排除」の現代的文脈と重ねて読んでいる。ただ筆者にはもう少し別の見え方もあって——DMZという「分断の境界線」のすぐそばに異星人の王家が降り立つという設定は、ナ・ホンジンが意図したかどうかはともかくとして韓国という国が歴史的に抱えてきた「侵略される側」の記憶とも二重写しになっている。
韓国映画の未来のために先に立つ尖兵
パク・チャヌクが審査員長を務める本年のカンヌ・コンペティションで、同国の後輩監督がこれほど商業志向の巨大エンタメをコンペ部門に持ち込んだことの意味——パルム・ドールへの現実的な可能性は低いかもしれないが、ホン・ギョンピョのヴァルカン賞(技術的芸術家賞)受賞は、十分あり得る。
本作が「ハリウッドが羨む水準の撮影、スコア、スタント、VFXを、おそらくその10分の1のコストで実現している」という事実は、カンヌの場においてもハリウッドに対して無視できない強力なメッセージ性を持つ。
「Part 1」——実は、まだ本編は開始したばかり
本作は続編を見据えた「第1章」として明確に設定されており、その作り方が混乱を生んだ側面があると批評家は指摘する。タイトルの意味は村の名前「ホープ湾(Hope Harbor)」がそのままタイトルになっているが、それだけではない何かが、エンディングで「HOPE」という言葉に折り重なるようだ。上映後の観客が笑いながら、あるいは頭を抱えながら会場を出てきたという現地報告と合わせるとこのタイトルの意味の開示が批評の賛否を最も分けた部分である可能性がある。ナ・ホンジンが仕掛けた最後の爆弾はそこなのかもしれない。
『HOPE』(2026年・韓国・2時間40分)
監督・脚本:ナ・ホンジン
撮影:ホン・ギョンピョ
音楽:マイケル・エイベルズ
編集:キム・ソンミン
出演:ファン・ジョンミン、チョ・インソン、ホヨン、マイケル・ファスベンダー、アリシア・ヴィカンデル、テイラー・ラッセル、
キャメロン・ブリットン
配給:Neon(北米・英国・豪州)、Mubi(その他複数地域)
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