
なぜカンヌの賞は分散するのか──見えざるルールが支配する祭典、2026年全受賞を考察
第79回カンヌ国際映画祭のパルム・ドールはクリスティアン・ムンジウ監督の『フィヨルド』に輝いた。
今年の授賞式を特徴づけたのは、複数部門でのダブル受賞という異例のパターンであった。審査委員長は韓国が生んだ鬼才、映像派パク・チャヌク。
カンヌの「重複禁止ルール」が生む明暗
まず初めに知っておかねばならない受賞に関する重大なルールがカンヌには存在する。
パルム・ドール・グランプリ・審査員賞のいずれかを受賞した作品は、監督賞・主演男優賞・主演女優賞・脚本賞といった他の主要個人賞を重複して受賞できないというルールがあるのだ。
このルールに照らすと、今年の受賞結果の構造が鮮明に見えてくる。
パルムの『フィヨルド』、グランプリの『ミノタウロス』、審査員賞の『夢想の冒険』の三作はいずれも個人賞レースから除外されている。つまり、レナーテ・レインスヴェとセバスチャン・スタンがどれほど傑出した演技を見せたとしても、パルム受賞の時点で女優賞・男優賞の対象外となる。
裏を返せば、濱口作品のヴィルジニー・エフィラと岡本多緒がダブル主演女優賞を受賞したという事実は、『急に具合が悪くなる』が最高位三賞の候補から外れていたことをも同時に意味する。『急に具合が悪くなる』は上位三賞との争いに加わりながら惜しくも外れたのか、あるいは審査員が最初から演技部門での評価を選択したのかは不明だが、いずれにせよ作品自体は相当高い評価を受けていたと考えるのが自然だろう。
このルールはある意味で、カンヌが「一作品による賞の独占」を避け、より多くの映画に光を当てようとするフェスティバルとしての姿勢の表れでもある。同時に、最高位を射止めた作品の俳優や監督が個人賞を逃し続けるという、批評的には少々不条理な状況も生み出している。
濱口竜介『急に具合が悪くなる』──往復書簡という構造が生んだ必然のダブル受賞
主演女優賞は濱口竜介監督の『急に具合が悪くなる(All of a Sudden)』に出演したヴィルジニー・エフィラと岡本多緒が同時受賞した。
原作は哲学者の宮野真生子と医療人類学者の磯野真穂の往復書簡集であり、その構造が本質的に二人の対話によって成立する映画を生んだという事実と、ダブル受賞というカンヌの決断は、見事に呼応している。一人の女優に賞を絞れば作品の根幹にある「対等な二つの声」で成立しているという原理に反する、という審査員の思いがあったとすれば、それは非常に正しい判断だったと言えるだろう。
審査員の一人、孤独な人間に寄り添う心の機微を感じさせる演出でその才能を開花させたクロエ・ジャオは主演女優賞授与について「私たちは俳優個人だけでなく、彼女たちの間にある愛と優しさの関係性そのものに恋をした。だからこそ二人への授賞を選んだ」と語った。
エフィラは知性と包容力を兼ね備えたフランス語圏を代表する女優であり、彼女のフランス映画への貢献はすでに確固たるものがある。一方、岡本多緒にとってこの受賞は、国際的なキャリアの文脈においてひとつの転換点になりうる。
主演男優賞もダブル──ルーカス・ドン『コワード』
主演男優賞は同じくダブル受賞で、ルーカス・ドン監督の『コワード(Coward)』に出演したエマニュエル・マキアとヴァランタン・カンパーニュが共に受賞した。こちらも主演女優賞と同様、「同一作品における二人の主役」という構造が授賞を促したものと見られる。ルーカス・ドンは前作『クロース』(2022年)でカンヌ・グランプリを受賞しており、今回は主演男優賞の獲得という形で再び脚光を浴びた。ドン監督は着実にカンヌが信頼を寄せる作家として地位を固めつつある。
監督賞も2作品からダブル受賞
監督賞は同率でハビエル・カルボとハビエル・アンブロッシからなるスペインのクリエイターコンビ「ロス・ハビス」の『ラ・ボラ・ネグラ(The Black Ball)』と、ポーランドのパヴェウ・パヴリコフスキ監督の『ファーザーランド(Fatherland)』の2作品が同時受賞した。
パヴリコフスキは2018年の『COLD WAR あの歌、2つの心』でも監督賞を受賞しており、今回はカンヌでの2度目の監督賞受賞となった。監督賞が同率タイとなり、ロス・ハビスの2人とパヴリコフスキの計3人が同時にステージに呼ばれた際、3人がステージ上でどう立ち位置を取るか戸惑う場面があり、ストイックな省略の美で知られるパヴリコフスキはその混乱ぶりを受けて授賞式スピーチで「これは悲惨なミザンセーヌ(段取り演出)だ!」とシニカルなジョークを飛ばした。その後の発言でパヴリコフスキは映画と政治の関係について踏み込み、「私たちは政治の空気を吸って生きているし、映画はそれを反映すべきだ。しかし政治家や活動家が敷いたレールに乗るべきではない」とその場の空気を締めるようにクールに語った。
一方、スペインのロス・ハビスは感情的なスピーチで場を沸かせ、「私たちより前の時代のLGBTQの人々が経験した苦しみや沈黙、そして死に報いる唯一の方法は、次の世代がより多くの自由を持てるようにすることだ」と述べた。
レナーテ・レインスヴェ──賞をもたらす女優、カンヌで4度目の輝き
パルム・ドールを受賞した『フィヨルド』はルーマニア系ノルウェー人カップルがノルウェーの辺境の村に移住し、文化的・宗教的摩擦から子供への虐待疑惑に発展するという物語で、セバスチャン・スタンとレナーテ・レインスヴェが主演する。
レナーテ・レインスヴェとカンヌの関係は、近年の映画祭史においてもっとも注目すべき物語を奏でている。
- 2021年:ヨアキム・トリアー監督『わたしは最悪。』→主演女優賞を受賞。
- 2024年 :ハーフダン・ウルマン・トンデル監督『アルマン』→カメラ・ドール(新人監督賞)受賞
- 2025年:ヨアキム・トリアー監督『センチメンタル・バリュー』→グランプリを受賞。さらにこの作品はその後のアカデミー賞で国際長編映画賞を受賞し、ノルウェー映画として史上初のオスカーとなった。
- 2026年:クリスティアン・ムンジウ監督『フィヨルド』パルム・ドール受賞。
4つのカンヌ連続受賞歴(うち個人賞が一つ)は、現在の映画界においてきわめて稀な軌跡である。しかもそれぞれの作品が異なる監督(トリアー2作品、トンデル、ムンジウ)によるものであり、女優として特定の「ホーム」に依存しない選択眼の確かさを示している。来年以降もアレクサンダー・ペイン作品への主演が控えており、感情の深みと軽やかさを同じ空気感で同時に放つことができる稀有な女優であるレインスヴェの賞レースでのプレゼンスはさらに高まる可能性が高い。
ジェームズ・グレイ、今年も無冠
ジェームズ・グレイの『ペーパー・タイガー』(アダム・ドライバー、スカーレット・ヨハンソン、マイルズ・テラー出演)は批評家から好評を得たが、受賞には至らなかった。グレイがカンヌ本選に出品するたびに繰り返されるこのパターンには、もはや様式美すら感じさせる。作品の完成度に反して審査傾向との相性の悪さがずっと続いており、審査委員の議論で決まるカンヌよりもヴェネツィアやトロントとの親和性が高い作家という評価が定着してきたのかもしれない。
同様に、イラ・サックス監督のエイズ禍の1980年代NYを舞台にした『ザ・マン・アイ・ラブ』のラミ・マレックも主演男優賞スルー。アダム・ドライバー、ラミ・マレックともに事前の期待値が高かった分、欧州勢の二組によるダブル授賞という結果は際立った。
その他の主要部門
グランプリはアンドレイ・ズビャギンツェフ監督の『ミノタウロス(Minotaur)』。ズビャギンツェフは反プーチン的な姿勢で知られるロシア人監督であり、この受賞は政治的な文脈でも読まれるだろう。
審査員賞はヴァレスカ・グリーゼバッハ監督の『夢想の冒険(The Dreamed Adventure)』が受賞。
脚本賞はエマニュエル・マレの『ノートル・サリュ(A Man of His Time)』。
カメラ・ドールはルワンダの監督マリー=クレマンティーヌ・デュサベジャンボの『ベン・イマナ(Ben’Imana)』。カンヌ史上初めてルワンダ映画が公式セレクションに入り、かつ最初の映画でカメラ・ドールを受賞するという歴史的な快挙となった。
監督週間・批評家週間・クイア・パルム
監督週間(Quinzaine des Cinéastes)
観客賞(人気投票)はクリオ・バーナード監督の英国映画『I See Buildings Fall Like Lightning』、名誉賞カロッス・ドールはクレール・ドニが受賞。ヨーロッパ映画賞(ヨーロッパ・シネマ・ラベル)はサラ・アーノルド監督の『Too Many Beasts』、フランス映画最優秀賞はシャナ・ピネル監督の『シャナ(Shana)』に贈られた。
批評家週間(Semaine de la Critique)
グランプリはマリーヌ・アトラン監督の『ラ・グラディヴァ(La Gradiva)』。GAN財団賞はジン・ゾウ(鄒晶)監督の『A Girl Unknown』、ライジング・スター賞はアイナ・クロテが受賞した。
クイア・パルム
クイア・パルムはジェーン・シェーンブルン監督の『Teenage Sex and Death at Camp Miasma』が受賞。クイア・パルム・ディスカバリー賞はピエール・ル・ガルの『Flesh and Fuel』、短編のクイア・パルムはナディーン・ミソン・ジンの『サイレント・ヴォイス(Silent Voice)』に贈られた。なお、今年から新設された「クイア・パルム・リヴェレーション賞」も初めて授与された。



