
マーガレット・クアリーが降板し、A24も去った。マイカ・モンローがスクリーム・クイーンを脱いだ記念すべきゴシック・ホラー『ヴィクトリアン・サイコ/Victorian Psycho』
1858年、ヨークシャーの荒野に建つ屋敷「エンソー・ハウス」に、一人の若い家庭教師が赴任する。礼儀正しく、博識で、笑顔の絶えない彼女には——ただ一つの問題があった。
前の勤め先で関わった人間が、なぜかすべて死んでいたのだ。
カンヌ2026「ある視点」部門にてプレミア上映。ロッテントマトでは批評家支持率71%のスコア。
主演はマイカ・モンロー。彼女のカンヌとのキャリアは2014年、21歳の時、『イット・フォローズ』の批評家週間で始まった。12年後、彼女は再びカンヌに帰ってきた——今度はスクリーム・クイーンとしてではなく、恐怖を与える側として。
監督のザカリー・ウィゴンは映画批評家出身。彼は「権力関係のパラドックス」という作家的命題を、『Sanctuary サンクチュアリ』(2022年)の心理スリラーからゴシック・ホラーへと形を変えて観客へ問いかける。
「ジェーン・エアとアメリカン・サイコの子供」というキャッチフレーズは、マーケティングの誇大広告ではなかった。
これは19世紀を舞台に、善悪の座標軸を最初から持たない女性が主人公の、ブラックコメディ・ホラーだ。

Story:
1858年。ウィニフレッド・ノッティ(マイカ・モンロー)は、ヨークシャーの荒野に聳え立つ屋敷「エンソー・ハウス」に家庭教師として赴任する。依頼主はパウンズ夫妻——資産家の当主ミスター・パウンズ(ジェイソン・アイザックス)と、その妻(ルース・ウィルソン)。教えるべき子供たちはドルシラ(イーヴィー・テンプルトン)とアンドリュー(ジャコビ・ジュープ)の二人。使用人のミス・ラム(トマシン・マッケンジー)がウィニフレッドを歓迎する。
ウィニフレッドは礼儀正しく、子供たちへの教育に熱心で、屋敷の生活にすみやかに溶け込んでいった——彼女が「闇」と呼ぶものを内側に秘めたまま。
やがて、屋敷の使用人が一人、また一人と不可解な理由で姿を消し始める。パウンズ夫妻は疑念を抱く。彼女は本当に、ただの家庭教師なのか。ウィニフレッドは自分の過去を知っている庭師に脅迫され、静かにそれを処理する。「私は自分が知っている人間の中で、最も正気だ」——彼女の呟きはいつも、そう始まる。
Behind The Inside:
力を持つ者こそ、実は最も脆弱な場所にいる
ザカリー・ウィゴンはニューヨーク出身、ティッシュ・スクール・オブ・ジ・アーツ卒の監督だ。映画監督になる前、彼は「スラント・マガジン」「ヴィレッジ・ヴォイス」「フィルムメーカー」誌に映画批評を寄稿していた。そして映画批評家から映画監督に転じた。これは珍しいようでいて、ヌーヴェルヴァーグの作家たちが「カイエ・デュ・シネマ」から生まれたことを思えば、映画の歴史において決して稀ではないキャリアパスだ。
長編第一作『The Heart Machine』(2014年)はデート・アプリ時代のロマンティック・スリラー。長編第二作『Sanctuary サンクチュアリ』(2022年・TIFF)は、ドミナトリクスの女性とその顧客という男女二人による密室劇——支配と服従、ロールプレイと現実の境界を問う心理スリラーで批評的評価を得た。
ウィゴンが繰り返す命題は「権力のパラドックス」だ。支配者は被支配者なしに存在できない。力を持つ者こそが、最も脆弱な場所にいる。『ヴィクトリアン・サイコ』では女性が「家庭教師」という社会的に最も権力を持たない職能に配置されながら、実際には全員を殺せるという構造にしている。つまり力を持つ者こそが、最も脆弱な場所にいるということだ。
クアリーとA24を失ったが、プロジェクトが止まることはなかった
本作の製作の歴史は、ハリウッドのインディー・ファイナンスの構造的脆弱性を示す教科書的事例だ。
2024年10月、A24が国内配給権を取得。主演はマーガレット・クアリー(『サブスタンス』)——ウィゴンと『Sanctuary サンクチュアリ』でコンビを組んだ俳優との再タッグが発表された。プロデューサーには『ロングレッグス』のダン・ケーガン。撮影開始は2025年3月に設定。
しかし撮影開始の直前、クアリーが離脱した。スケジュール競合もしくはクリエイティブ上の齟齬か、理由は公表されていない。A24もクアリーの離脱とほぼ同時期にプロジェクトを離れた。こちらも理由は公表されていない。
だが、2025年5月のカンヌ・マーケットで、プロジェクトは生きていた。新しい主演はマイカ・モンロー(『ロングレッグス』)。ジェイソン・アイザックスの参加も同タイミングで発表された。2025年8月、ブリーカー・ストリートが米国配給権を取得。撮影はアイルランドで行われ、同年内にラップした。プロジェクトを俯瞰してみるとA24のブランドイメージとの相性より、本作の血みどろなトーンはブリーカー・ストリートの方が相性が良かったのかもしれない。
カンヌで産まれたスクリーム・クイーンが、カンヌでサイコになるまで
マイカ・モンローは、21歳の時、2014年のカンヌ批評家週間でキャリアをスタートさせた。デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督の『イット・フォローズ』——性行為によって「何か」が伝染するという設定で、最終的に全世界興収2,100万ドルを稼いだホラーの小品だ。「ジャンル映画でカンヌに来れたことが信じられなかった」と彼女は言う。
その後のキャリアはジャンルの中核を歩んだ。『ザ・ゲスト』(2014年)、『ウォッチャー』(2022年)、そして『ロングレッグス』(2024年)。と続き「スクリーム・クイーン」という呼び名が定着した。恐怖を受ける側、追われる側、脅かされる側——それがホラーにおけるモンローの定位置だった。
本作でモンローは初めて、ホラー映画において「恐怖を与える側」に立つ。ウィニフレッド・ノッティというキャラクターについて彼女はこう語る。「これが今まで演じた中で最も難しい役だとわかっていた。自分の中の何かに頼ることができなかった。まったくゼロから積み上げなければならなかった」。
カンヌ批評のコンセンサスはこの転換に好意的だ。「ヴィクトリアン・サイコ」の世界が機能しているとすれば、それはモンローがウィニフレッドの論理の内側にとどまりながら、外側の観客に皮肉なユーモアを届け続けているからだ——ICSフィルムは「最も血みどろで楽しいカンヌ「ある視点」部門の締めくくり」と評し、ホラー専門メディアBloody Disgustingは「虐殺がモンローの手にかかると実に楽しい」と記している。
ただし、ヴァラエティ誌のガイ・ロッジの批評が指摘するように、映画全体としては「盛り着飾って行く場所を持たない」という限界も露わにしている。ロッテントマト71%という数字はその分断を反映している——モンローの演技は評価されながら、映画の深度についての留保が混在する。
Under The Film:
血と笑いを届けるブラックコメディ・ホラー
『ヴィクトリアン・サイコ』のカンヌ批評において、最も多く言及された比較対象は二つの作品だ——ヨルゴス・ランティモスの『哀れなるものたち』(2023年)と、メアリー・ハロン監督の『アメリカン・サイコ』(2000年)。前者との比較は美術と演技のスタイルにおいて、後者はタイトルが自ら宣言している。ウィニフレッドの「女性の狂気」を病理として描くのではなく、狂気を持つ女性を主体として、その論理の内側から物語を語る。これは善悪の座標軸を最初から持たない女性が主人公の、ブラックコメディ・ホラーなのだ。
1858年のヴィクトリア朝は、女性に対してきわめて限定された自律性しか認めなかった社会だ。家庭教師という、使用人でも家族でもない曖昧な階層に女性を配置する。ウィニフレッドの「暗黒」は、その構造への応答として読むことができる。もっとも映画は、そうした解釈よりも血と笑いを届けることを最優先にしている。
『ヴィクトリアン・サイコ』は傑作ではないが、「脳みそをオフにして楽しむ」ことも要求しない。シニカルな笑と共に血みどろを楽しみたい向きには満足のゆく90分であることだけは確かだ。
『Victorian Psycho/ヴィクトリアン・サイコ』(2026年・アメリカ・1時間30分)
監督:ザカリー・ウィゴン
脚本:ヴァージニア・フェイト(原作・脚本)
出演:マイカ・モンロー、トマシン・マッケンジー、ジェイソン・アイザックス、ルース・ウィルソン、ジャコビ・ジュプ、エヴィ・テンプルトン、エイミー・デ・ブルン
撮影:ニコ・アギラール
音楽:アリエル・マルクス
製作:トラフィック(ダン・ケーガン)、アントン(セバスティアン・レイボー)、アノニマス・コンテント
配給:ブリーカー・ストリート(米国)/ True Brit Entertainment(英・アイルランド)
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