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私は彼女が嫌いだった。それでも、スクリーンから目が離せなかった。——レナーテ・レインスヴェという「不穏な距離感」の解剖

ヨアキム・トリアーから電話が来た前日、彼女は俳優を辞める決意をしていた。

2021年、カンヌ。初めての映画祭、初めての主演作。上映の前夜、レナーテ・レインスヴェは吐き気で目を覚ました。「私の演技でこの映画を台無しにしてしまった」——そう思いながら。翌朝、彼女は女優賞を手にした。

これは、私が長いあいだ「好きになれなかった」女優の話であり、なぜ世界がその距離に惹きつけられるのかを探った記録だ。


正直に書く:私は彼女が嫌いだった

最初に白状しておく。

レナーテ・レインスヴェが苦手だった。

『私は最悪。』(2021年)を最初に見たとき、私は30分でリモコンを置きかけた。ユリヤという女性が、医学部をやめ、心理学をやめ、書店員になり、ある男と暮らしながら別の男にキスをする。どこかに向かっているように見えて、何にも向かっていない。そしてレインスヴェはその迷走を、あまりにも気持ちよさそうに演じる。まるで迷走していること自体を楽しんでいるかのように。

どうして、どこまでもそうなっていくの?と唖然としながらずっと見続けていた。

正確に言えば——彼女のことが「理解できなかった」のだ。画面の中のユリヤが何を感じているのか、常に半歩だけ遠い。泣きそうで泣かない。笑いながら目が笑っていない。感情が高まる場面で、彼女はなぜか少しだけ引く。ハリウッド的な「感情を届ける演技」に慣れた目には、その微妙な引き際が冷たさに映った。


彼女は辞めようとしていた

俳優を辞める。

その決意をレインスヴェは2021年の前年、友人たちに打ち明けていた。ノルウェーで与えられ続ける役は「一面的なもの」ばかりで、やりがいを感じられない。ならば手を動かす仕事をしようと思った。大工だ。自分の家をリノベーションしてみたら、物を作ることの実感がよかった。若い女性たちのための大工学校を開こうとまで考えていた。

翌日、ヨアキム・トリアーから電話がかかってきた。

それがなければ、われわれは彼女を知らないままだった。

トリアーは2011年の『オスロ、8月31日』で、すでにレインスヴェを使っていた。台詞はたった一言——「パーティーに行こう!」——それだけだった。だがトリアーはそのワンラインの中に、何かを見ていた。10年後、彼は共同脚本家のエスキル・ヴォーグトとともにユリヤというキャラクターを書き上げるとき、最初からレインスヴェの顔を思い浮かべていた。

カンヌでユリヤは熱狂を呼んだ。レインスヴェは史上初のノルウェー人カンヌ女優賞受賞者となった。「Guardian紙は『スターの誕生』と書いた」と、レインスヴェはのちに語っている。受賞を知ったとき、彼女は「吐いて、泣いた」。


なぜ彼女のことを「好き」な人がいるのか——三つの読み方

1. 世代論:「最悪な私」との同期

ユリヤは最悪ではない。タイトルは逆説だ。彼女は「自分が最悪だと思っている」女性だ。アイデンティティが定まらない、何者かになりきれない、でも何者かになりたいわけでもない——その曖昧な自意識を、レインスヴェは「演じる」のではなく「そこにいる」ことで体現する。

これが特定の世代に深く刺さった理由は明快だ。SNS時代に育ち、無数の選択肢の前で立ち尽くす20〜30代にとって、ユリヤの迷走は自分自身の迷走と完全に重なる。感情移入ではなく、鏡を見る感覚。しかもその鏡は、こちらの醜さを「かわいい」と言ってくれる。

これがアメリカやヨーロッパでの熱狂を作った。

日本でのレインスヴェへの反応が比較的静かなのは、この「迷走をポジティブに描く」文法が、まだ少数派だからかもしれない。日本では「一生懸命な主人公」の物語のほうが共感を呼びやすい。ユリヤはどこにも一生懸命でない。だから刺さらない人には全く刺さらない。

2. フェミニズム的読み:「与えられた物語」からの離脱

従来の映画における女性キャラクターは、多くの場合「誰かの視点から見られる存在」として設計されてきた。恋人の目、夫の目、あるいは社会の目。しかしユリヤは違う。彼女は常に「自分の視点から世界を見ている」。

レインスヴェが描く女性たちには、共通する性質がある。彼女たちは感情の表出を、必ずしも他者に向けない。泣くとき、笑うとき、それは「見せる」ためではなく、彼女自身の内部で起きていることだ。カメラに向かって感情を差し出す演技ではなく、カメラが彼女の感情を盗み見る演技。

この「まなざしの構造」が、フェミニズム的な映画批評において高く評価される理由のひとつだ。

3. 北欧的感情の文法

最も重要なのは、ここかもしれない。

北欧の感情表現は、抑制を美徳とする。感情は爆発させるものではなく、静かに抱えるものだ。泣くことより、涙をこらえることのほうが情緒的な重みを持つ。沈黙が、言葉より多くを語る。

日本でも「以心伝心」の文化があるが、その「何も言わない」の質が違う。日本の沈黙はしばしば協調のための沈黙だ。北欧の沈黙は、個人の内部に閉じた沈黙に近い。他者との壁を維持しながら、それでも連帯を求める——その矛盾した感情のあり方が、レインスヴェの演技には染み込んでいる。

アメリカの批評家たちが「subtle」「restrained」「understated」といった語でレインスヴェを形容するとき、彼らが感じているのはこの北欧的感情の文法との接触体験だ。知っているようで知らない感情の動き方。それが「新しさ」として受容される。


作品論:「不穏な距離感」の四象限

『私は最悪』(2021年)——距離の発生

カンヌ女優賞、BAFTAノミネート、アカデミー国際映画賞・脚本賞ノミネート。

この映画でレインスヴェが最も鮮烈に輝く瞬間は、彼女が感情を爆発させる場面ではない。アイヴィンとの「止まった世界」のシークエンス——街の時間が静止する中、ふたりだけが動き続ける——あの場面での、彼女の表情だ。喜んでいる。でも喜びの中に、すでにこの瞬間を惜しんでいるような影がある。幸福と哀惜が同時に存在する顔。それはトリアーが設計したかもしれないが、画面に焼き付けたのはレインスヴェの顔の力だ。

「感情を多く見せれば感動が増す」という映画の常識を、彼女は静かに否定する。


『わたしは最悪。/The Worst Person in the World』(2021年・ノルウェー・フランス・スウェーデン・デンマーク・2時間7分)
監督:ヨアキム・トリアー
出演:レナーテ・レインスヴェ、アンデルシュ・ダニエルセン・リー、ハーバート・ノードラム、マリア・グラツィア・ディ・メオ、ハンス・オラフ・ブレンナー、ミア・マクゴヴァーン・ザァイ二ィ © Oslo Pictures / Kasper Tuxen


『センチメンタル・バリュー』(2025年)——距離の深化

カンヌグランプリ、アカデミー国際映画賞受賞。

スクリーンの上でトリアーとレインスヴェは再び組んだ。今度の役はノラ——舞台女優であり、長らく不在だった映画監督の父(ステラン・スカルスガルド)と向き合わざるをえなくなった女性だ。

重要なのは、ノラが「感情的に回避的な」人物として設定されている点だ。彼女は愛を受け取ることが苦手で、父への怒りを正面から表現できない。感情の渋滞を身体で演じる。このキャラクターはレインスヴェの俳優としての本質と、ほとんど一致している。

撮影中、トリアーはソーセージを持って道化を演じ、レインスヴェは笑い転げた。その直後に、胸を鷲づかみにするようなシーンが撮られた。それが最も心を打つテイクになった——とレインスヴェは語っている。喜劇と悲劇の境目を、彼女は本能的に知っている。


『センチメンタル・バリュー / Sentimental Value』(2025年・ノルウェー・2時間13分) 監督:ヨアキム・トリアー 脚本:ヨアキム・トリアー、エスキル・ヴォーグト 出演:レナーテ・レインスヴェ、ステラン・スカルスガルド、インガ・イブスドッテル・リッレオース、エル・ファニング、アンデルシュ・ダニエルセン・リー 製作:Mer Film、Eye Eye Pictures 配給(北米):NEON カンヌ映画祭グランプリ受賞(2025年)/アカデミー国際映画賞受賞(2026年) © Mer Film / Kasper Tuxen


『フィヨルド』(2026年)——距離の体制化

クリスティアン・ムンジウ監督、パルムドール受賞作。

ルーマニア人の夫・ミハイ(セバスチャン・スタン)とノルウェー人の妻・リスベット(レインスヴェ)。彼女の故郷、ノルウェーの辺境の村に移住した一家が、子供への体罰疑惑から児童保護機関と対峙する物語。

ムンジウの映画は常に、人間を「システムの中の小さな存在」として描く。その構造の中でレインスヴェが演じたリスベットは、対話の試みが次々と制度の壁に砕かれていく女性だ。批評家たちは「メロドラマに逃げず、リアルを保ち続けた」と評価した。スタンとレインスヴェは「monastic restraint(修道士的な抑制)」と称されるほど感情を絞り込み、その分だけ崩壊の瞬間が際立つ。

ここでのレインスヴェは「北欧女性」であることを、外側から見る視点も同時に持っている。ルーマニア人の夫の目、ノルウェー社会の目、そして映画カメラの目。複数の視線に晒されながら、彼女はどの視線にも完全には従わない。


『フィヨルド / Fjord』(2026年・ルーマニア・ノルウェー他・2時間26分) 監督・脚本:クリスティアン・ムンジウ 出演:セバスチャン・スタン、レナーテ・レインスヴェ 配給(北米):NEON カンヌ映画祭パルムドール受賞(2026年) © Mobra Films / Tudor Vladimir Panduru


『バックルームズ』(2026年)——距離の怪物化

A24、ケイン・パーソンズ監督、カイウェテル・イジョフォー共演。

セラピスト、Dr.メアリー・クライン。患者の行方を追って、現実から逸脱した次元に踏み込む女性。

この役でレインスヴェはホラーという全く異なる地平に立つ。撮影現場の「バックルームズ」セットは実際に巨大で複雑に入り組んでおり、レインスヴェは「方向感覚がひどいので、ひとりでは入りたくなかった」と語った。その実際の恐怖が、演技に滲み出ている。

批評家たちの評価は「fantastic」から「underdeveloped」まで割れた。だがホラー映画においてさえ、彼女はヒロインとして叫ばず、観客の感情を代弁しない。恐怖を「感じている人物」としてそこにいる。その一貫性が、Rotten Tomatoes 90%という数字に繋がった。


『バックルームズ / Backrooms』(2026年・アメリカ・1時間50分) 監督:ケイン・パーソンズ 脚本:ウィル・スーディック 出演:キウェテル・イジョフォー、レナーテ・レインスヴェ、マーク・デュプラス、フィン・ベネット 製作:A24 ©2026 A24 Films LLC. All Rights Reserved.


「不穏な距離感」という本質

改めて問いを立てる。レナーテ・レインスヴェという俳優の核にあるものは何か。

答えは「距離」だ。ただし、これは冷淡さとは異なる。

彼女は感情を持っている。それは明らかだ。だが彼女は、その感情をスクリーンの外に送り出すとき、必ず少しだけフィルターをかける。「見て」と言わない。「感じろ」とも言わない。ただそこにいて、動いている。その動きを、こちらが目で追いかけることになる。

それが「不穏」なのだ。感情を受け取った気がする。だが本当に受け取ったのかどうか、確かめる手段がない。映画が終わって席を立つとき、ユリヤもノラもリスベットも、まだスクリーンの中でこちらに背を向けている気がする。

ヨアキム・トリアーはかつて、こう語った——「彼女がいる日は、現場の最良の日だ」。そしてこうも言った。「彼女が年を重ねるところを、ずっと見ていたい」。

これは俳優への賞賛であると同時に、ひとつの恐怖の告白でもある。「見ていたい」という欲望は、どこまで見つめても本当に「理解できたのかどうかわからない」というアンビバレントな不安から生まれる。


次章へ:アレクサンダー・ペイン×スカンジナビアという実験

2026年初頭、デンマーク語映画として撮影が始まった新作がある。アレクサンダー・ペイン監督、脚本はノルウェー人作家エルレンド・ロー、原案はスウェーデン人監督オーケ・サンドグレンによる——北欧の作家たちがアメリカ人監督を手招きした構図の映画に、レインスヴェは参加する。

ペインはこれがヨーロッパ初監督作品となる。Searchlight Pictureが世界配給権を取得済みだ。

「『サイドウェイ』や『ファミリーツリー』と同じように美しく、誠実で、深くおかしな映画になるだろう」とSearchlightは声明を出した。「おかしな」という言葉に注目したい。ペインのユーモアと、レインスヴェの「引く」演技が出会うとき、何が起きるのか。この組み合わせは、現時点での彼女のキャリアで最も「距離の試験」になりうる。


私は、今も彼女が「わからない」

だが、スクリーンから目が離せなくなった。

それが「好き」なのかどうか、まだ判断がつかない。ただ言えることは、彼女が出ている映画を見るとき、私は常に画面を少し身を乗り出して見ている。何かを取り逃がした気がして。

レナーテ・レインスヴェは、観客を不安にさせることが上手な俳優だ。安心させず、でも不快にもしない。その絶妙な緊張の中に、私たちを置き去りにする。

それが彼女の技だ。そしてたぶん、それが彼女の正体だ。


Reels:

わたしは最悪。(字幕版)

アート系に才能のきらめきを見せながら、決定的な道が見つからず、いまだ人生の脇役のような気分のユリヤ。そんな彼女にグラフィックノベル作家として成功した年上の恋人アクセルは、妻や母といったポジションを勧めてくる。ある夜、招待されていないパーティに紛れ込んだユリヤは、若くて魅力的なアイヴィンに出会う。新たな恋の勢いに乗って、ユリヤは今度こそ人生の主役に躍り出ようとするのだが-。(C)2021 OSLO PICTURES – MK PRODUCTIONS – FILM I VÄST – SNOWGLOBE – B-REEL – ARTE FRANCE CINEMA

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