
ゾンビ映画は、もっと残酷で、もっと孤独で、もっと政治的だった。——日本でほとんど語られなかった5本
2002年、ダニー・ボイルは走るゾンビを解き放った。あれから23年。ゾンビ映画は、どこへ向かったのか。
感染者は凶暴化し、密室で孤独に生き延び、植民地主義の傷跡を血で塗り直し、そして「治癒した後」の地獄を歩き始めた。『28日後…』が切り拓いたのは、ホラー映画の新しい文法だった——ゾンビを恐怖の道具ではなく、社会を映す鏡として使う映画の系譜。
その系譜に連なる5本が、日本ではほとんど語られていない。劇場に来なかった。邦題が壊滅的だった。Netflixに静かに置かれたまま、誰も触れなかった。理由はさまざまだが、結果は同じだ。
これらの映画は、あなたが知っているゾンビ映画ではない。

TYPE 1|言語が感染する——密室の中で、言葉が凶器になった
Pontypool(2008年・カナダ)
邦題「ON AIR オンエア 脳・内・感・染」。このタイトルで、誰が観るのか。
カナダ・オンタリオ州の雪に閉ざされた田舎町ポンティプール。ラジオ局の地下スタジオで、ベテランDJのグラント・マジーは早朝の放送を始める。外から届いてくる断片的な情報——暴動、集団死、謎の感染——を声だけで伝えながら、やがて彼は気づく。このウイルスは、英語という言語そのものを媒介として感染する、と。
ゾンビが一匹も画面に映らないまま、90分間が終わる。
監督ブルース・マクドナルドが本作を「会話主義者たちの映画」と呼んだのは正確な表現だ。感染の三段階は、言葉のループから始まり、言語の崩壊を経て、他者の口腔から脱出しようとする衝動で終わる。ゾンビは身体的な死ではなく、コミュニケーションの死を体現している。
脚本家トニー・バージェスは自身の小説「Pontypool Changes Everything」を自ら脚色した。ラジオという密室装置が生む「見えない恐怖」の演出は、後の『クワイエット・プレイス』が感覚として継承するアイデアを、予算32,118ドルという極小規模で先取りしていた。
Rotten Tomatoes 83% / IMDb 6.5 / TIFF 2008正式上映

『Pontypool / ON AIR オンエア 脳・内・感・染』(2008年・カナダ・1時間36分 )
監督:ブルース・マクドナルド 脚本:トニー・バージェス
出演:スティーヴン・マクハッティ、リサ・フール、ジョージナ・ライリー
日本:劇場未公開・国内VOD配信なし(DVD「ON AIR オンエア 脳・内・感・染」で入手可)
TYPE 2|治癒した後に、何が残るのか——感染の「翌朝」を描いた映画

The Cured / CURED キュアード(2017年・アイルランド)
28シリーズが問わなかった問いがある。——ゾンビが人間に戻ったとき、社会はどう受け入れるのか。
「メイズ・ウイルス」によるパンデミックが収束したアイルランド。感染者の75%は治療薬によって人間に戻ったが、彼らは「回復者」として社会復帰を求められる。問題は、回復者たちがゾンビだった時代の記憶を完全に保持していることだ。自分が何をしたか、誰を殺したか、すべて覚えている。PTSDを抱えた回復者と、彼らを恐れる市民と、25%の治癒不能な感染者の安楽死を計画する政府。
監督デヴィッド・フレインの長編デビュー作は、ゾンビ映画ではなく移民・難民の社会統合を題材にした政治ドラマとして読むことができる。「人間に戻ったが、完全には受け入れられない存在」——その比喩は2017年という公開年に鋭く刺さった。主演エリオット・ペイジ(当時エレン・ペイジ)がプロデューサーも兼任し、TIFFでワールドプレミア。
IMDbスコアの低さ(5.6)は、純粋なホラーを期待した観客のギャップによるものだ。RT 70%という批評家評価の方が、この映画の本質に近い。
Rotten Tomatoes 70% / IMDb 5.6 / TIFF 2017正式上映

『The Cured / CURED キュアード』(2017年・アイルランド・フランス・1時間35分 )
監督・脚本:デヴィッド・フレイン
出演:エリオット・ペイジ、サム・キーリー、トム・ヴォーン=ローラー
Amazon Prime Video配信中
TYPE 3|父と娘と、48時間の猶予——感染した父親が辿り着く場所

Cargo(2017年・オーストラリア)
ゾンビ映画に、これほど美しいショットがあっていいのか——と思わせる映画がある。
ゾンビ・ウイルスが蔓延したオーストラリアの荒野。感染した父アンディ(マーティン・フリーマン)は、生後間もない娘を安全な場所まで連れていかなければならない。問題は、感染者が完全に変貌するまでの時間が48時間しかないことだ。父親は自分の「死」のタイムリミットを胸ポケットに入れて、赤茶けた大地を歩き続ける。
本作の核心は、先住民族アボリジニの少女トゥーミとの邂逅にある。白人が持ち込んだウイルスが白人を殺し、アボリジニの精神世界が生存のための知恵を提供する——この構造は偶然ではない。監督ベン・ハウリングとヨランダ・ラムケは2013年の7分間短編を自ら長編化し、オーストラリア固有の土地と文化を真摯に画面に刻んだ。Roger Ebert.comのブライアン・タリコは「ジョージ・A・ロメロが喜んだだろう」と評した。
Netflixで日本語吹替版が配信されているにもかかわらず、日本語圏での言及は極めて少ない。
Rotten Tomatoes 87% / IMDb 6.3 / アデレード映画祭 2017

『Cargo 』(2017年・オーストラリア・1時間45分 )
監督:ベン・ハウリング、ヨランダ・ラムケ
脚本:ヨランダ・ラムケ 出演:マーティン・フリーマン、シモーネ・ランダース、アンソニー・ヘイズ、デヴィッド・ガルピリル Netflix Japan配信中
TYPE 4|パリのアパートに、たった一人——孤独とは何かを問うゾンビ映画

The Night Eats the World / リビング・デッド サバイバー(2018年・フランス)
邦題「リビング・デッド サバイバー」。原題は「夜が世界を食らった」。この落差が、この映画が日本で語られなかった理由のほぼすべてだ。
パリ。元カノの部屋に私物を取りに来たミュージシャンのサムは、奥の部屋で眠り込んでしまう。翌朝目が覚めると、パーティの参加者は全滅し、街にはゾンビが溢れていた。サムは高層アパートの一室に立て籠もり、ひとりで生き残ることを選ぶ。
この映画にゾンビの群れはほとんど登場しない。ドラムを叩き、本を読み、日々を記録し、気が狂いそうになりながらも生活のルーティンを作っていくサムの孤独——それがこの映画の全体だ。ゾンビの特異な設定として、彼らは完全に無音で動く。叫ばない、唸らない。その静寂が通常のゾンビ映画とは異質の恐怖を生む。
主演のアンダーシュ・ダニエルセン・リー(ノルウェー映画『リプライズ』)の抑制された演技と、ゴルシフテ・ファラハニの存在感が、低予算作品の限界を超えている。FrightFest 2018で上映、Varietyはスコアをつけた数少ない媒体のひとつだ。
Rotten Tomatoes 87% / IMDb 6.0 / FrightFest 2018上映

『The Night Eats the World / リビング・デッド サバイバー』(2018年・フランス・1時間33分) 監督:ドミニク・ロシェ 脚本:ジェレミー・ゲズ、ギヨーム・ルマン、ドミニク・ロシェ 出演:アンダーシュ・ダニエルセン・リー、ゴルシフテ・ファラハニ、デニス・ラヴァン Amazon Prime Video配信中
TYPE 5|先住民族だけが感染しない——植民地主義をゾンビで撃ち返した映画

Blood Quantum / ブラッド・ブレイド(2019年・カナダ)
カナダの先住民族ミ’クマク族の保留地レッド・クロウ。世界がゾンビに食われていく中、この土地の先住民族だけが感染しない。彼らのDNAには、何らかの免疫がある。皮肉なことに、かつて「血の純度」という概念で先住民族を管理・差別してきた白人社会が、今度はその同じ「血」の濃度によって死んでいく。
監督ジェフ・バーナビーはミ’クマク族出身。「Blood Quantum(血の量分)」とはもともと先住民族の血統を数値化し、権利を制限するために使われた行政用語だ。タイトルからすでに植民地主義批評が埋め込まれている。「植民地化のメタファーとしてのゾンビを、撃ち返した」——Letterboxdのある批評家はそう要約した。
批評家評価RT 90%はこの5本中最高値だが、IMDb 5.6という一般観客スコアとの乖離が示すように、ゴア表現と社会批評の混在が賛否を割る。邦題「ブラッド・ブレイド」はタイトルの政治的意味を完全に消滅させた。バーナビーは2022年に癌で逝去。享年46歳。本作は彼の最後の長編となった。
Rotten Tomatoes 90% / IMDb 5.6 / TIFF 2019正式上映

『Blood Quantum / ブラッド・ブレイド』(2019年・カナダ・1時間38分)
監督・脚本:ジェフ・バーナビー
出演:マイケル・グレイアイズ、エル=マイヤ・テイルフェザーズ、フォレスト・グッドラック、ゲイリー・ファーマー
Amazon Prime Video配信中
ゾンビ映画は、鏡だ。
これら5本に共通するのは、ゾンビが「目的」ではなく「手段」として機能していることだ。言語の崩壊、社会復帰の困難、父性の喪失、孤独の深淵、植民地主義の逆転——ゾンビはそれぞれの問いを可視化するための装置として機能している。
『28年後…』がレイジ・ウイルスによって引き起こした問いは「人間は感染した後に何になるのか」だった。これら5本が問うているのは、もう一歩手前の、あるいはもう一歩奥の問いだ。
感染の前後に、私たちはどんな社会を作っていたのか。



