
「アン・ハサウェイ復活の狼煙──2026年の”スクリーン女王”への転換点として改めて捉える『アイリーンはもういない』」
金髪のレベッカが変えた。アン・ハサウェイの”第三章”は、この映画から始まっていた。
2026年、年間5本公開という前代未聞のラインナップで「スクリーン女王」として完全復活を果たしたアン・ハサウェイ。
トーマシン・マッケンジーとの化学反応が生み出した、欲望と逃走の心理劇──『アイリーンはもういない』

2026年──「アン・ハサウェイの年」が到来するまで
2026年は、アン・ハサウェイにとって前例のない年になった。
『プラダを着た悪魔2』(全米5月1日公開)、スリラー映画『ヴェリティ/真実』(同月15日)、クリストファー・ノーラン監督の超大作『オデュッセイア』(7月17日)、さらに『オークストリートの異変』(8月14日)と、わずか4ヶ月足らずの間に4本が連続公開されるという、ハリウッドの一俳優としては異例の密度だ。『プラダを着た悪魔2』でのメリル・ストリープとの再共演に加え、『オデュッセイア』ではマット・デイモン、ゼンデイヤ、トム・ホランド、ロバート・パティンソン、シャーリーズ・セロン、ルピタ・ニョンゴらと共演。ハサウェイのキャリアにおいてこれほどの豊作の年は、かつて一度もなかった。
しかし振り返ってみると、この復権は突然起きたことではない。
伏線は、2023年のサンダンスにあった。
「ハサヘイト」という呪縛
2013年のアカデミー賞、『レ・ミゼラブル』のファンテーヌ役で助演女優賞を手にしたハサウェイを待っていたのは称賛ではなかった。受賞スピーチで「夢が叶った」と囁いた瞬間から、「ハサヘイト(Hathahate)」と呼ばれるバッシングが爆発した。「努力を見せすぎる」「わざとらしい」──その烙印は、以降10年以上にわたって彼女につきまとった。
しかしThe Daily Beastが指摘するように、この攻撃の根底には性差別があった。ホアキン・フェニックスがジョーカーのために24キロ減量してそれを公言しても「もっと頑張れ」などとは言われなかったし、アンドリュー・ガーフィールドが『Tick, tick… BOOM! : チック、チック…ブーン!』でオスカーを狙って入念なプレスツアーを展開しても、それは「チャーミングな戦略」と好意的に受け取られた。同じ行動が、女性にだけ「わざとらしさ」として機能した。
IndieWire誌のインタビューでハサウェイ自身が認めているように、あの時期のバッシングは彼女に「ショック」と「恥」の感覚を与えた。それを糧に静かに立て直していくには、10年以上の時間が必要だった。
その解呪の一端を担ったのが、金髪に染めたレベッカというキャラクターだった。
レベッカという役が持つ意味
2024年サンダンス映画祭でプレミア上映された『アイリーン』は、批評家から絶賛を受けた。ハサウェイが演じた刑務所勤務の心理学者レベッカは、それまでのハサウェイ像を意図的に裏切るキャラクターだ。
観客が求める「善意に満ちたアン・ハサウェイ」ではなく、魅力と毒を同居させた謎めいた女性。地味なアイリーン(トーマシン・マッケンジー)を引き寄せながら、その実態を最後まで読ませない。スクリーンに登場した瞬間から、場の空気を変える磁力を持つキャラクターとして、彼女はレベッカを体現した。
この役の本質は「制御された危険性」にある。ハサウェイが抱えていたパブリック・イメージの文脈──「頑張りすぎる女性」──が、ここでは武器として機能した。レベッカは自分をどう見せるかを完全に計算している。しかしその計算が「あざとさ」ではなく「狡猾さ」として機能するのは、ウィリアム・オルドロイドの演出と、相対するマッケンジーの無防備さがあってこそだ。
トーマシン・マッケンジー──ニュージーランドから世界へ
一方のトーマシン・マッケンジーは現在、アンドリュー・ガーフィールド主演のポール・グリーングラス監督作『The Uprising』(歴史ドラマ)やホラー映画『ヴィクトリアン・サイコ』(2026年9月25日全米公開予定)など、ジャンルを横断した新作ラインナップを抱え、ホラーから歴史劇まで活躍の場を広げている。さらにフランチェス・オコナー監督の『Sister Maria Goes To Rome』では、揺るぎない信仰を持つ修道女を演じる予定。
「私のキャリアの理想形は、『足跡はかき消して』の監督デブラ・グラニクの現場から学んだ。その場で”集めていく”ような、有機的な映画作りだ」──マッケンジーはそう語る。ソーシャルメディアでの存在感よりも演技の誠実さを優先するその姿勢はハリウッドにおいて、非常に際立っている。
『足跡はかき消して』(2018年)でブレイクし、『ジョジョ・ラビット』(2019年)『ラストナイト・イン・ソーホー』(2021年)を経て、『アイリーンはもういない』でタイトル・ロールを手中に収めた彼女は、一本一本を丁寧に選び、そのキャリアを積み上げてきたその証をまた一つ示した。
「女性の逃走」という普遍的テーマ
『アイリーンはもういない』の本質は、脱出劇だ。
1960年代ボストンという時代設定が意味するのは、女性に与えられた選択肢の絶対的な少なさだ。酔いどれの父親、閉鎖的な刑務所、繰り返される単調な日常──アイリーンの人生は、どこにも出口がない。
そこにレベッカが現れる。
原作者オテッサ・モシュフェグが『レベッカ』(デュ・モーリア)から着想したというのは既知の事実だが、もう一つ見逃せないのは、この映画が「女性が女性に魅せられる」という構造を、性的な文脈だけに回収させない精密さを持っている点だ。アイリーンがレベッカに感じるのは恋愛感情なのか、羨望なのか、それとも自分の中の別の人格への欲望なのか。その曖昧さこそが、映画を見終わった後に長く尾を引く。
『アイリーンはもういない』はハサウェイの隠れた転換点
アン・ハサウェイが2026年に次々と大作に出演する中、Netflixで配信中の本作『アイリーンはもういない』は特別な意味を帯びている。
この作品はいわば、復権した女優の「隠れた転換点」となっており、派手な話題作ではないが、レベッカというキャラクターを完全に掌握したハサウェイのあの佇まいなしには、今年の彼女はなかっただろう。
そしてトーマシン・マッケンジーにとっても、この映画は現在進行形の活躍を理解するための基点となる一本だ。世界規模で演じ続ける二人の女優が、1960年代の寒いボストンで出会うあの瞬間に、改めて立ち会ってほしい。
『アイリーンはもういない』(2023年・アメリカ/イギリス・1時間37分)
監督:ウィリアム・オルドロイド
出演:トーマシン・マッケンジー、アン・ハサウェイ、シェア・ウィガム、マリン・アイルランド 他
Netflixで配信中!
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