
スカーレット・ヨハンソン 監督デビュー作『エレノアってグレイト。』ユダヤの記憶と嘘の愛
「ユダヤのルーツがなければ、この映画は作れなかった」。自身の家族がワルシャワ・ゲットーで命を落としたことを知ってから、スカーレット・ヨハンソンは変わった。
第78回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門出品。ハリウッド史上最高収益女優が初めてメガホンを取った作品は、インディペンデント映画──95歳の老女とホロコーストの記憶を巡る物語だった。
脚本を読んで泣いた。実際のホロコースト・サバイバーを現場に招いた。そして、カンヌで5分間のスタンディングオベーションを受けた。
主演のジューン・スキッブは95歳だが、すべてのテイクに110%の力を注いだ。「彼女は決して止まらなかったから、記憶に残る物語が紡がれた」。

Story:
フロリダで穏やかな晩年を送っていた94歳のエレノア・モーゲンスタイン(ジューン・スキッブ)。長年の親友であり、ホロコースト・サバイバーのベッシー(リタ・ゾハル)が亡くなり、娘のいるニューヨークへ移り住む。だが都会の生活は孤独で、家族の中にいながら「透明人間」のように感じてしまう。あるとき、彼女はユダヤ人コミュニティセンターのサバイバー支援グループに迷い込む。そしてあろうことか、亡き親友ベッシーの生存体験を「自分の話」として語り始めてしまう──。
Behind The Inside:
「私がユダヤ人でなければ、この映画を語る資格はなかった」
スカーレット・ヨハンソンがこの企画に引き寄せられた理由は、自身のルーツと切り離せない。2017年、彼女はPBSの番組『ファインディング・ユア・ルーツ』で、ワルシャワ・ゲットーで家族が命を落としていたことを初めて知り、涙を流した。「家族の歴史の多くが失われていた。あの物語たちは、ページの中に埋もれたまま長い時間が過ぎた。ユダヤとのつながりがなければ、同じ真正性でこの物語を語ることはできなかったと思う」と彼女は語っている。
アシュケナジー系(主にドイツ語圏)ユダヤ人としてポーランドとロシアにルーツを持つヨハンソンは、エレノアが行う「ホロコーストの体験を自分のものとして語る」行為を、「ほとんど許しがたいこと──最悪の嘘」と評しながらも、「それが愛と悲しみ、孤独から来ていると映画の最後でわかれば、観客は共感し、赦せるはずだ」と語る。
作品にはさらなるリアリティが込められた。ヨハンソンはUSCショア財団と連携し、支援グループのシーンに実際のホロコースト・サバイバーたちをキャスティングした。ベッシー役のリタ・ゾハル(81歳)は幼少期にホロコーストを生き延びた実際のサバイバーだ。「この役が私に声を与えてくれた。私の物語ではないが、言語化することでベッシーとつながり、ベッシーそのものになった」と彼女は語っている。
高まる反ユダヤ主義への危機感も、制作を急がせた一因だった。「数年後には、このような映画を作ることははるかに難しくなっていたと思う」とヨハンソンは語る。
2023年10月7日のハマスによるイスラエル奇襲攻撃以降、欧米全土で反ユダヤ的ヘイトクライムは記録的な水準に跳ね上がった。ADLの集計では、アメリカ国内の反ユダヤ主義的事件数は2022年比で約140%増の8,873件。FBI統計でも同63%増を記録した。だが問題はそれ以前から始まっていた。テルアビブ大学とADLの共同報告書は「戦争は、すでに燃え盛っていた火に油を注いだ」と表現している。「昨年より安全だと感じられない」と答えたユダヤ系アメリカ人の割合は、2019年の42%から2024年には73%へと上昇した。ヨハンソン自身も個人的に反ユダヤ主義的な言動を経験したことを明かしており、「本当に怖い時代だ。アイデンティティ全般に対して、漠然とした不安感がある」と語っている。
「孤独な仕事だとは、思っていなかった」──30年越しの発見だった監督という職業
女優として30年のキャリアを積んだ後の監督デビューは、想定外の発見の連続だったという。「監督というのは、妙に孤独な仕事だと気づいた。俳優の目には、監督はクルーとともに作業している存在に映る。でも実際は、みんなが楽しんでいる中、自分だけがひたすら働き続けている」と振り返る。それでも彼女は現場の雰囲気は「温かく、ポジティブだった」と続ける。
一方、女優としての経験はそのまま武器になったとも言う。「技術的な部分が心配だった──カメラをどこに置くか、ショットリストをどうするか。でも実際には、自分が思っている以上に多くのことをすでに知っていた。俳優はセットで何千時間も過ごしてきている」。「10年前にはできなかった。自信がなかったと思う」とも率直に認めている。
現場でのヨハンソンへの評価は高い。キウェテル・イジョフォーは「素晴らしいコミュニケーター」と称し、エリン・ケリーマンは「思いやりがあり、忍耐強く、率直」と表現した。ジューン・スキッブ自身も「俳優としての知識を土台にリードしてくれた。すべてが自然で、本当に素晴らしい経験だった」と語っている。
110%を出し切った95歳の主演──ジューン・スキッブの意地と体力
エレノアを演じたジューン・スキッブの存在は本作の核心だ。60歳でウディ・アレン監督作『アリス』(1990年)で映画デビュー。84歳で『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』(2013年)でアカデミー賞助演女優賞ノミネート。そして94歳でアクション映画『テルマがゆく! 93歳のやさしいリベンジ』(2024年)に単独主演し、スタント(スクーターによるカーチェイス)も自身でこなした。そして、本作では95歳にして主役としてポスターを飾っている。
スキッブを抜擢したヨハンソンは本作で素晴らしくドラマチックな役を演じたスキッブが「95歳でカンヌのクロワゼット通りを歩く姿」を明確にイメージしていた。
その期待に、スキッブは完全に応えた。共演のエリン・ケリーマンは「ジューンに最も感銘を受けたのは、カメラが向いていようとなかろうと、ワイドショットだろうと、すべてのテイクで110%の力を発揮していたこと。必要な感情的スタミナは本当に過酷なものだが、彼女はそれをやりきった」と語る。スキッブ本人は言う。「止まらなかったからだと思う。90歳になって『もう仕事はできない』と言うなんて、考えもしなかった」。カンヌとTIFFの強行プレススケジュールをこなした後には、60年ぶりのブロードウェイ復帰作(『マージョリー・プライム』)まで控えていた。
ホロコーストというテーマへのアプローチについて、スキッブはこう語った。「本当のサバイバーたちとシーンを撮影しながら、ただ雑談していた。特別なことは何も起きなかったが、目の前にいるのは実際の生存者たちだという事実が、すべてに滲み込んでいった。ホロコーストの物語は重要だと思う。それが決して忘れられないよう願っている」。
Under The Film:
「最悪の嘘」が愛の形をとるとき
嘘は愛の形をとることがある──それが本作の中心命題だ。エレノアが他者の物語を「盗む」行為は道徳的に問い直されるべきものだが、映画はそれを断罪しない。孤独と愛と喪失が人をどこへ連れていくかを、ユーモアと痛みを交差させながら描く。ヨハンソン自身の言葉を借りれば、「愛と赦しと悲しみについての映画」だ。
「最高収益女優」が選んだ意外すぎる初監督作
ハリウッド史上最高収益の女優が長編監督デビューに選んだのは、インディペンデントの小品だった。90代の老女の孤独を描き、ユダヤの記憶の継承を問う──それはスター俳優の「次の一手」として意外に映るかもしれない。だがユダヤのルーツ、埋もれていた迫害の記憶、失われゆく証言者という問いは、彼女がいまこれを作らなければならなかった理由として十分な説得力を持つ。ある悲痛な確信──このタイミングを逃したら、もう二度と作れない──がスクリーンに滲み出ている。
『エレノアってグレイト。』(2025年 ・アメリカ ・1時間41分)
監督 スカーレット・ヨハンソン
脚本 トリー・ケイメン
出演 ジューン・スキッブ、キウェテル・イジョフォー、ジェシカ・ヘクト、エリン・ケリーマン、リタ・ゾハル
公開日:2026年6月12日(金)
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