
黒沢清は、今作でも自分でいられたか。——45年目の初時代劇『黒牢城』」
1578年、荒木村重は織田信長に弓を引いた。外には信長の軍勢。内には裏切り者。そして城の中で、死が始まった。
黒沢清、70歳。45年のキャリアではじめて時代劇に踏み込んだ。舞台は城のほぼ内側だけ。刀より言葉が交わされ、血よりも疑念が画面を満たす。カンヌ・プルミエール部門でプレミアを飾ったこの作品は、「いかにも黒沢的」でありながら、「黒沢にはなかったもの」でもある。

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まるで実験室のようなケミストリー——4大ミステリーランキング1位のベストセラー時代劇小説✖︎ホラー・スリラー界の世界的名匠
『氷菓』シリーズで知られる謎解きの名手、米澤穂信が2021年にKADOKAWAから上梓した歴史ミステリ小説『黒牢城』は、第12回山田風太郎賞、第166回直木賞をはじめ主要ミステリ賞4冠を制した。この原作の映画化に際して、ホラー・スリラーの名匠、黒沢清へ打診し、時代劇が初めてであった黒沢は「恐れをなした」と口にしている——ベストセラー原作の重みを物語る言葉だ。
「時代劇は向いていない」と思っていた監督
黒沢清は1955年神戸生まれ。監督・脚本家・映画批評家・元教授という多面的な顔を持ち、1973年から活動を続けるキャリアは半世紀に迫る。しかし時代劇はノータッチだった。
黒沢自身の言葉を借りれば、「時代劇はずっとやりたいとは思っていたが、そういう作品を作るには多額の費用がかかる」——予算の問題が、彼を歴史物から遠ざけ続けた。今回の『黒牢城』については「私にとってまったく新しい領域であり、新鮮な気持ちで臨んだ」と語っている。
「いわば城は密室である」——ロック・ルームとしての有岡城
物語の舞台は1578年の有岡城(伊丹城)。荒木村重(本木雅弘)は暴君・織田信長への反旗を翻し、城に籠城する。信長の軍勢に包囲された城の中で連続する怪事件が起きる。外には敵軍、内には裏切り者——追い詰められた荒木村重は、地下牢に幽閉している天才軍師・黒田官兵衛(菅田将暉)の力を借りながら、密室と化した城で起こっている怪事件の謎を解こうとする。
脚本を書いたのは黒沢清本人。米澤穂信の小説をほぼ忠実に映画化している。米澤は英国クラシック・ミステリへの深い敬意をこの小説で示しつつ、そこに現代への視点を重ね合わせた。
作品は四章に分かれており、各章が季節に対応している。1578年の冬から始まり、章が進むごとに時が経つ設計だ。
見えないものが引き起こす密室劇
この映画についての最大の誤解を先に解いておく必要がある。
これは血と刀の時代劇ではない。静謐でほとんど瞑想的な作品だ——むしろ溝口健二や黒澤明の晩年の作品世界に通じる趣がある。
暴力はほぼスクリーンの外で起きる。信長軍の攻撃も家臣たちの死も、私たちはほとんど「聞く」だけだ。城内は噂と疑心暗鬼で満たされており、何が真実かは誰にも分からない。
これは実は黒沢清の十八番そのものだ。彼はキャリアを通じて、フレームの外にあるものを武器にしてきた。『CURE』や『回路』の恐怖は見えないものが引き起こす——その手法が、時代劇という舞台で新たな相貌を見せている。
佐々木靖之のカメラは、有岡城の内庭を360度ゆっくりと見渡す。その視線が城を「守られた場所」ではなく「逃げ場のない場所」として定義する——籠城しているのか、幽閉されているのか、その境界線を曖昧にしたままで。
本木雅弘と菅田将暉による真実を巡る舌戦
本木雅弘と菅田将暉——日本映画界を代表するこの二人が初めてスクリーンで対峙する、それだけでも本作の話題性は十分だ。
主役・荒木村重を演じる本木雅弘は、『おくりびと』(2008年・アカデミー賞外国語映画賞受賞)でその名を世界に知らしめた。対する黒田官兵衛を演じる菅田将暉は、黒沢作品『CLOUD クラウド』(2024年)ではネット詐欺師を演じていたが、今度は牢の格子越しに謎を解く天才軍師に転じている。
この二人の対話シーンが映画の核心だ。フレームの内側では会話が剣戟の代わりを果たし、互いの腹を探りながら真実へと近づいていく張り詰めた緊張感がある。
黒沢清の揺れ幅
率直に言う。黒沢清は「作品によって出来不出来の差が大きい監督」だ。
『CURE』(1997年)の研ぎ澄まされた恐怖、『回路』(2001年)の終末的な静寂、『カリスマ』(1999年)の異様な緊張感——これらはジャンル映画の枠を超えた作品として世界で熱狂的な支持を受けている。一方で彼のキャリアには、「少し迷子になっているのではないか」と感じさせる作品も少なくない。
黒沢自身は、The Film Stageのニック・ニューマンとのインタビューでこう語っている——「大企業と仕事をするとか、原作物であるとか、有名俳優と組むとか、そういった外側から来る条件が映画に影響することがある。」黒沢ほどのキャリア・パスがある監督にとって、自分が本当にやりたいことをやれている作品は実は稀なのではないのだろうか。
この発言には、ある種の諦念がある。外側から来る条件に自分が左右されることを、彼は分かっている。それは器用に立ち回れる作家の言葉ではない。静寂の中に暴力が侵入し、日常が音もなく異質な世界へ変容していく——黒沢清の映画はその一瞬に賭けている。その賭けを許されない現場に置かれたとき何が起きるか。それがキャリアの「揺れ幅」の正体だと思う。
育てた後進二人と共にカンヌに立った日
黒沢清は「濱口竜介の師匠」と紹介されることが多いが、これは正確か。
濱口竜介は東京藝術大学大学院の在学中に黒沢清のもとで学び、「映画についての多くの洞察を彼から学んだ」と明言している。ただし「脚本の師匠」というより「映画学校の教師」が正確で、黒沢は2005年から2023年まで東京藝大で映画を教えた。その教え子には濱口のほかに深田晃司もいる。
その深田晃司が黒沢清についてこう言っている——「黒沢清は、対話を一切使わずに動く映像だけで強力な物語を語れる——これこそ純粋な映画作家だ」。
前述の「揺れ幅」と、この一言はつながっている。「純粋な映画作家」であることは、万能であることとは違う。特定の条件下でのみ本領を発揮するタイプの作家だ——それを最も端的に言い当てたのが、この深田の言葉だと思う。
なお2026年のカンヌには、プルミエール部門選出の黒沢の『黒牢城』と同時に、濱口竜介(『急に具合が悪くなる』)と深田晃司(『ナギダイアリー』)の2本がコンペティション部門に出品され、師弟三人が同一年のカンヌに揃うという異例の事態が生じた。
カンヌでの批評
カンヌでの批評は、一言で言えば「驚きを伴った歓迎」だった。The Film Stageは批評家選出作に選定し、ロッテントマトでは現時点で93%のスコアが付いている。
最も鋭い言葉を放ったのはLittle White Liesだ。「小林正樹の最も教訓的な時代にも比較しうる直球的な台詞を持つ」と書き、様式的に小林正樹の『切腹』を想起させると指摘している。
『切腹』(1962年)が武士道の欺瞞を内側から解体した映画だとすれば、『黒牢城』もまた——主君への忠義でも英雄的な戦死でもなく、密室の論理と言葉の力を頼りにして生き延びようとする男の話として——同じ文脈で語ることができる。
黒沢清は、自身の本質的な問いに辿り着いたのか?
この映画は、ある意味では黒沢清にとって最も制約の多い条件下で作られた一作だ——130年の歴史を持つ松竹というメジャースタジオ、国民的俳優二人、4冠を制したベストセラー原作、時代劇というジャンル縛り。
しかしカンヌの批評が証言するように、その制約の中で彼は自分の本質的な問いに辿り着いている。荒木村重は武士道の残酷な倫理規範に縛られながら、それに従うことを拒む——黒沢清のフィルモグラフィーに繰り返し登場する「社会の裂け目から逸脱しようとするアウトサイダーたち」と同じ精神的衝動が、400年前の城主の中にも宿っている。
時代が変わり、舞台が変わり、衣装が変わっても、黒沢清が映しているものは変わっていない。それが『黒牢城』の最大の収穫である。
『黒牢城』(2026年・日本・2時間27分)
監督・脚本:黒沢清
原作:米澤穂信『黒牢城』(KADOKAWA、2021年)
出演:本木雅弘、菅田将暉、吉高由里子、青木崇高、宮館涼太、江本佑、オダギリジョー、坂東彌十郎
撮影:佐々木靖之
編集:高橋幸一
音楽:半野喜弘
製作:松竹+TBSピクチャーズ
配給:松竹(日本)/Janus Films
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