
未完のまま死ぬ、ということ――『新凱旋門物語』論
『新凱旋門物語)』の大凡のストーリーは無名のデンマーク人建築家が、フランス、ミッテラン政権の威信をかけた国家プロジェクトのコンペで奇跡的に選ばれ、そこから行政の壁、政治的思惑、予算の圧力に翻弄されていく――というものだ。
実際、この映画がカンヌ「ある視点」部門で披露されて以来、批評もSNSでの紹介文もこの一点をほぼ同じ言葉で反復してきた。
だが、この図式にどれほどの実質があるのか、一度立ち止まって考えてみたい。

Story:
1983年、フランス大統領フランソワ・ミッテラン(ミシェル・フォー)は、自身の任期を象徴する国家プロジェクトとして、パリ・ラ・デファンス地区に建てる新たな凱旋門「グランダルシュ」の国際建築コンペを実施する。世界中から集まった数百の応募案の中から選ばれたのは、コペンハーゲンで教職の傍ら小さな教会と自邸しか手がけたことのない、当時ほぼ無名だったデンマーク人建築家、ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセン(クレス・バング)。53歳にして人生最大の仕事を手にした彼は、妻リヴ(シセ・バベット・クヌッセン)と共に、言葉の壁、異国の行政システム、そして巨大な政治的思惑が渦巻くパリへと乗り込むことになる。
理想の建築を実現しようとするスプレッケルセンの前に立ちはだかるのは、数字と効率にとらわれた官僚ジャン=ルイ・シュヴィロン(グザヴィエ・ドラン)。そしてやがて現場の設計監理を託される建築家ポール・アンドリュー(スワン・アルロー)。異邦人の理想と、国家的威信、予算、スケジュールという現実との間で、静かな、しかし激しい攻防が始まる。
Behind The Inside:
「翻弄された」の中身
ヨハン・オットー・フォン・スプレッケルセンが1983年の国際コンペで大凱旋門(グランダルシュ)の設計者に選ばれたのは事実だ。だがその後の展開を時系列で並べると、宣伝文句が示唆するほど単純な「被害者の物語」にはならない。
彼は1986年7月、自らプロジェクトを離れる決断をしている。追放されたのではなく、辞任という能動的な選択だった。設計監理の責任は、フランス人建築家ポール・アンドリューに引き継がれた。そして辞任からわずか8ヶ月後の1987年3月、スプレッケルセンは癌のため57歳で世を去っている。竣工はその2年後、1989年――フランス革命200周年の年だった。
政治との衝突があったのは間違いない。しかし彼の死因は病であって、プロジェクトそのものではない。この時系列を素直に読めば、「政治に潰された建築家」という物語は、事実の並びに対してやや性急な因果の当てはめだと言わざるを得ない。
落差の大きさをどう読むか
スプレッケルセンのキャリアを俯瞰すると、彼がいかに寡作な建築家だったかがわかる。コペンハーゲンの王立芸術アカデミーで教鞭を執りながら、コンペ以前に手がけた建築物は、自邸と教会4堂のみ。国際的な脚光を浴びたのは、53歳にしてこの一件のコンペが初めてだった。
つまり彼にとってグランダルシュは、それまでの寡作なキャリアの延長線上にある一仕事ではなく、桁違いの規模を持つ唯一無二の仕事だった。この落差の大きさをどう読むかは、実のところ読み手に委ねられている。遅咲きの大きな飛躍と見ることもできるし、無名の教会建築家に荷が重すぎる仕事だったと見ることもできる。少なくとも、そこに「無念」や「悲劇」を積極的に読み込む根拠は、経歴の事実そのものの中には見当たらない。
『ブルータリスト』という補助線
奇しくも、同時期に「異邦人の建築家」を主人公にした作品がもう一本ある。ブラディ・コーベット監督作『ブルータリスト』だ。戦後アメリカに渡ったハンガリー人建築家という架空の人物を主人公に据え、理想と現実の衝突、そして個人が様々な困難に押し潰されていく過程を、圧倒的な撮影表現で描き切った。
ただし、ここで注目したいのは政治対アートという構図の相似ではない。両作が示しているのは、「異邦人の建築家」という型そのものが、いまなぜ映画的な主人公として呼び戻されているのか、という問いだ。一方は実在の人物の伝記であり、もう一方は虚構の人物を通じて普遍化された物語である。実在と虚構、それぞれのアプローチの違いこそが、この型の生命力を測る手がかりになる。
『新凱旋門物語』が実話であることの強みは、脚色できない事実――辞任という選択、病死という結末――がそのまま残ってしまう点にある。物語として都合よく閉じることができない。事実は脚色よりも奇妙であるではないが、宣伝文句の単純化とは裏腹に、実際の人生は単なる「政治に翻弄された悲劇」の枠に収まらせない余白を生んでいるのではないか。
正方形のフレームという視覚言語
もう一点、政治劇としてではなく、この作品を映画として見るときに無視できない選択がある。本作はスタンダードに近い正方形に近いアスペクト比(1.37:1)で撮られている。フランスの経済紙レゼコーの批評家アドリアン・ゴンボーは、この判断について、画面そのものが小さなアーチのように見えてくる効果を指摘している。
グランダルシュは、四角い開口部を持つ立方体という、単純にして異例の形状の建築物だ。その形状を、フレームという映画自身の”建築”に呼応させる。政治の攻防を描くドラマとしてではなく、一人の建築家の視覚言語を、映画自身の視覚言語で受け止め直す試みとして見ると、本作の評価軸はもう一段変わってくる。
Under The Film:
悲劇だったかどうかは、本人にしかわからない
竣工を見ることなく世を去った建築家、という要素だけを取り出せば、悲劇的な物語の型に容易に当てはめることができる。実際、ガウディとサグラダ・ファミリアの関係もしばしばそう語られる。だが両者の間には無視できない違いもある。ガウディは死の直前まで現場に通い、完成を急がない姿勢を貫いていた人だった。対してスプレッケルセンは、竣工を待たずに自ら現場を去っている。
未完に向き合う態度は、一様ではない。
スプレッケルセン自身が、竣工前に世を去ったことをどう受け止めていたのか。それを知る術は、もはやない。「無念だったはずだ」という想像は、観客や書き手の側の願望の投影である可能性を、常に留保しておくべきだろう。
もし彼が本作を見ることができたなら、あの時の選択について、どんな言葉を残すだろうか。
『新凱旋門物語』(2025年・フランス・デンマーク・1時間46分106分)
監督:ステファン・ドゥムースティエ
出演:クレス・バング、グザビエ・ドラン、スワン・アルロー、シセ・バベット・クヌッセン、ミシェル・フォー
配給:ミモザフィルムズ
劇場公開日:2026年7月17日
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