
『The Furious』呼吸一つのタイミングで繰り広げる疾風怒濤の格闘戦

闇鍋から流派の博物館へ
『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』(2024年)のアクションを谷垣健治に依頼したプロデューサー陣が求めたのは、『イップマン』のような一つの武術体系に貫かれた洗練ではなく、多種多様な人間と流儀がぶつかり合う「闇鍋」状態だったという。ただし単なる混沌ではなく、そこにエネルギーと熱量、いわば温度を持たせることが狙いだったと谷垣自身が語っている。
この「闇鍋」志向は、監督最新作『The Furious』でさらに純化された形で反復されているのではないだろうか。しかもそれは演出上のスローガンに留まらず、キャスティングの段階からすでに技術として設計されているように見える。

俳優本人の実際の技術をそのまま画面に映す
『The Furious』の座組を見ると、その意図は一目瞭然だ。主演シェー・ミャオは、ジェット・リーと親子役を演じて、一躍ブレークした武術大会での優勝経験もある中国武術の使い手、ジョー・タスリムは元インドネシアの柔道代表という経歴を持ち、『モータル・コンバット』のビ・ハン/サブ・ゼロ役でも知られた存在、ヤヤン・ルヒアンはユネスコ無形文化遺産にも登録されている伝統武術プンチャック・シラットの継承者であり『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』でタス・リーチ役で知られている。一方で「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のアクション演出と出演もしているブライアン・リーは特定の師につかず独学で技術を積んだ、いわば無系統の格闘家であり、谷垣自身も彼の動きを一言で説明するのは難しいと笑いながら語っていたという。さらに『ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー』で殺し屋アルバイターゆうりを演じた岩永丞威の起用については、少年時代の香港映画には必ず「蹴りキャラ」がいたという原体験があり、ダンサー出身で空手を修めた岩永をその役に当てたと説明されている。
Varietyの取材で谷垣は、俳優一人ひとりが固有の背景を持っており、自分の仕事はその純粋さと固有性を引き出すことに尽きる、という趣旨のことを語っている。スタントダブルに頼らず、俳優本人の実際の技術をそのまま画面に映す方針だったという点も、この発言と符合する。
つまり『The Furious』において俳優のキャスティングは、演技力や知名度の選抜である以前に、すでに振付の一部として機能しているのではないか。型を後から教え込むのではなく、身体にすでに刻まれた運動方程式を素材としてそのまま使う。これは一人の振付師が全員に同じスタイルを叩き込む方式とは正反対の発想であり、香港スタント出身の谷垣ならではの「型を役者から引き出す」アプローチだと言えそうだ。

舞踏のような異種格闘技
このアクション演出の設計思想を最も的確に言い当てているのが、タスリム自身の発言かもしれない。UPIの取材で彼は、出演者同士の格闘的な出自がまるで異なることを、異なる楽器を演奏するミュージシャンにたとえ、ただ身を任せてアクションを楽しめばいいと語っている。まるでジャズのように即興的に互いを攻撃し、それを受け手が流れるようにして受け止め、次の攻撃が更に続く。まるで舞踏のような武闘シーンの連続。

この比喩はアクション演出を説明しているのではないだろうか。柔道、シラット、武術太極拳、無系統の我流の武闘という互いに異質なスタイルをミックスして一つの共通様式に均さない。むしろ各演じ手の癖をそのまま残したまま、その場その場の相性で組手を組み替えていく。
その即興性を裏付けるのが、終盤の五つ巴の乱戦(シェー・ミャオ×ジョー・タスリム×ヤヤン・ルヒアン×ブライアン・リー×岩永丞威が入り乱れる場面)についてのシェー・ミャオの証言だ。自分の型を覚えるだけでなく、他者の動きを常に見て割り込むタイミングを見極める必要があったという。加えて、彼が演じるワン・ウェイというキャラクターは相手にかなり体を密着させて戦う型だが、それは彼自身が本来得意とする間合いではなく、順応に時間がかかったことも明かしている。筋肉質なブライアン・リー相手には、その体格を利用しつつ弾き飛ばされないよう押し付ける独自の技術が必要だったとも語っていた。

「呼吸で繋ぐ」編集哲学
もしこの仮説が正しいなら、撮影と編集の側にも当然しわ寄せが来るはずだ。柔道の崩し・投げは重心の移動を空間ごと見せる必要があり、シラットは近距離での関節や武器の絡み合いを見せるために画面が詰まる必要があり、武術太極拳の型は流れの美しさのためにある程度の距離と持続が要る。普通に撮っているだけでは、これらすべてを等しく「立たせる」ことはできない。
以前『るろうに剣心』(2012年)で谷垣が語っていた絵の繋がりに関しての考え、律儀な立ち回りの連続性よりも呼吸感やリズムを優先してつなぐという方法論は、まさにこうした異種格闘技的な画面をつなぎとめる接着剤として機能しているのではないだろうか。異なる運動方程式を持つ身体が次々と衝突する『The Furious』のような映画では、この「呼吸で繋ぐ」編集哲学こそが、様式の異なる格闘同士を一本の映画として破綻なく成立させる技術的な要になっているように思われる。
流派の博物館を超えた即興性
ここまでの推測が正しければ、『The Furious』を「流派の博物館」と呼ぶのは、実はやや不正確なのかもしれない。谷垣とキャスト陣が語っていたのは、もっと動的な何かだ。異なる楽器を持ち寄った演奏者たちが、共通の楽譜を持たないまま、その場の呼吸だけで音を重ねていく――そういう即興性こそが、この作品のアクションを支えている核心なのではないだろうか。
日本公開は来年とのことで、ここに書いたことの多くは予告編や海外でのインタビュー記事からの推測の域を出ない。本編を実際に確認したうえで、この仮説がどこまで的中しているかを検証する回を、公開の暁にはいずれ改めて書きたい。
『The Furious(原題)』(2026年・香港・中国・1時間53分)
監督:谷垣健治
出演:シェー・ミャオ、ジョー・タスリム、ヤン・エンヨウ、ヤヤン・ルヒアン、ブライアン・リー、岩永丞威、
ジージャー・ヤーニン、サハジャック・ブーンタナキット 他
2027年公開予定
© 2026 Lionsgate
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