
『きっと青春大革命!カルラ8年の記録』― 自分たちのペースで自分たちの記憶を紡ぐ
メキシコの小さな町テポストランで暮らすトランスジェンダーのカルラを、監督のカニ・ラプエルタが8年間追い続けたドキュメンタリー。
ラプエルタ自身もトランス当事者であり、トランス当事者の成長を記録するという映像形式を超えた被写体との関係性そのものが映像に組み込まれている点に、この作品の独自の強度がある。

Story:
メキシコの小さな町テポストランで暮らすカルラは、幼い頃から自分の身体と心のあいだにずれを感じてきた。トランスジェンダーのとして生きることを選んだカルラを、両親と「選ばれた兄」オリバー、そしてクィアなコミュニティが支える。監督のカニ・ラプエルタは、カルラが7歳の頃から8年にわたってカメラを回し続け、思春期の揺らぎ、家族との対話、SNSを通じた自己表現を記録していく。単なる観察記録にとどまらず、カニとカルラが「繭」と呼ぶ空間で映画そのものについて語り合うパートも組み込まれ、被写体と作り手が共に物語を編み上げていく過程そのものが映し出される。
Behind The Inside:
語り直され続ける記憶
『きっと青春大革命!カルラ8年の記録』は86分、2015年前後から2023年前後までのカルラの成長を追ったもので、大きく三つの層が重なって出来ている。
一つ目は、テポストランでのカルラの日常を追う観察パート。家族や、アニメ好きの「選ばれた兄」オリバーとの交流など、素の生活がそのまま記録される。二つ目は、カルラ自身の声によるボイスオーバー。時系列を行き来しながら、過去の記憶を今の視点から何度も語り直していく。三つ目が、カニとカルラが「繭(コクーン)」と呼ぶピンク色の柔らかい空間で向き合い、映画そのものについて語り合うパートで、ここでは記録というよりも二人で設計した対話劇に近い性格を持つ。
観察・回想・対話という三層が交互に編まれることで、この映画は「過去に起きたことをただ追う」記録ではなく、「今この瞬間も語り直され続けている記憶」として構成されている。
撮られる側からカメラを手に取って監督となる
ラプエルタは、シスジェンダーの監督から繰り返し「トランスの経験について語ってほしい」と取材対象として呼ばれることに疲れ、自らカメラを持つことを選んだという背景を持つ。つまりこの映画は「当事者が当事者を撮る」という単純な図式ではなく、「撮られる側から抜け出した者が、次の世代の当事者と対等な関係で映画を作る」という、もう一段階ねじれた立ち位置から生まれている。
その関係性が最も色濃く表れるのが、劇中に繰り返し登場する「繭(コクーン)」の場面だ。ピンク色の柔らかい繭のような空間で、カニとカルラが映画そのものについて語り合う。これは記録された素材ではなく、二人で設計した「安全な対話の場」として意図的に作られている。ドキュメンタリーとフィクションの境界に挑戦したかった、カルラの空想を再演することで彼女の期待にも応えたかった、というラプエルタの発言はこの場面の設計思想をそのまま説明している。
カルラをどこから語り始めるか、現在から遡るか、過去から時系列で進むか、という構成上の決定すら、劇中でカニがカルラ本人に問いかける場面として描かれる。編集権を監督だけが独占するのではなく、被写体に構成の一部を委ねる身振りそのものが画面に残されている点は、トランスの物語を扱う作品として新しい形と言える。
意図された実験と関係性からにじみ出た偶発性
ここで一つ立ち止まって考えたいのは、このドキュメンタリーとフィクションの溶け合い方が、あらかじめ設計された実験なのか、それとも8年という関係性の中で後からそうなっていっただけなのか、という点だ。ラプエルタ自身は「ドキュメンタリーとフィクションの境界に挑戦したかった」「カルラの想像の力を喚起し、期待にも応えたかった」と、明確に意図を持った発言をしている。この言葉だけを見れば、確信犯的な実験を試みているのではないのか。
ただ、繭の場面が生まれた経緯を辿ると、少し様相が違って見える。あの空間は最初から「ドキュメンタリー/フィクションの境界を壊す装置」として設計されたというより、8年間の撮影を通じてカルラが安心して深い話をできる場所を探った結果、結果的に「これが二人にとっての対話の形だ」と、つまり、方法論としての狙いはあったにせよ、その具体的な形は二人の関係性の蓄積が先にあり、理論はそれを後から言語化したものではないか、という読み方もできる。
どちらか一方に決める必要はない。むしろ「意図された実験」と「関係性からにじみ出た偶発性」が同時に成立している、という両義性そのものが、この映画がドキュメンタリー単体でもフィクション単体でも区分けしきれない理由になっている。
儚いはずのSNSが映画の中に取り込まれてゆくことで起きる前例のなさ
もう一つの軸は、素材としてのTikTok映像の扱い方だ。作品はカルラの日常を追う観察パートと、彼女の記憶を行き来しながら語り直すボイスオーバーという二重構造を持つが、その観察パートの中にカルラ自身のTikTok投稿が組み込まれている。
SNSの投稿は本質的に儚い。アカウントは凍結され、投稿は消え、プラットフォームの仕様変更一つで文脈ごと失われる。ところがこの映画は、それらを画面としてそのまま撮影・編集に取り込むことで、消えていくはずだった自己表現を映画という媒体の中に定着させている。8年という制作期間の長さそのものが、この「定着」の重みを支えている。ラプエルタ自身、これほどの素材が集まるとは「正直、自分が何をしているのか本当にはわかっていなかった」と振り返っており、それに対してカルラが「私たちのような主人公の映画なんて存在しないんだから、どうやってわかるっていうの」と返す場面が象徴的だ。前例のない記録を、前例のないまま8年間撮り続けた末に生まれた定着だと言える。
Under The Film:
自分たちのペースで、自分たちの物語を語るという姿勢
海外の批評では、この作品がトランスの権利を巡る現在の政治的逆風にほとんど触れていない点を指摘する声がある。反発や恐怖ではなく、家族やコミュニティの愛情、成長、喜びに焦点を絞りきっているという評だ。
政治的な怒りに応答する形で物語を組み立てるのではなく、自分たちのペースで、自分たちの物語を語るという姿勢そのものが、この映画の政治性になっている。怒りに反応して作られた映画ではなく、独自の論理で自立している映画だからこそ、8年という時間の厚みに説得力が宿るのだとも言える。
『きっと青春大革命!カルラ8年の記録』は、当事者性・時間・素材の定着という三つの軸が絡み合った作品だ。トランスの物語である以前に、「誰が、どうやって物語る権利を持つか」という問いに対する、8年がかりの実践的な回答として観ることができる。
『きっと青春大革命!カルラ8年の記録』(2025年・メキシコ・ドイツ・1時間26分)
監督:カニ・ラプエルタ
公開:2026年7月18日(土)〜 渋谷・シアター・イメージフォーラムにて公開中
今秋 大阪・シネ・ヌーヴォでも上映予定
字幕:吉田ひなこ
協力:肌蹴る光線
配給:ノーマルスクリーン
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