
『Her Private Hell』、拍手12分と酷評の山 — レフンの涙が語る賞レースという舞台装置
『ドライヴ』から15年。あの寡黙な佳作を作った男に、また同じものを、と願うのは贅沢な願望だろうか。ニコラス・ウィンディング・レフンの新作『Her Private Hell』が、カンヌ映画祭のグラン・テアトル・リュミエールで幕を開けたとき、場内は12分間のスタンディングオベーションに包まれた。しかし配給後、批評家たちの評は驚くほど手厳しいものだった。「近年でもっとも惨めな鑑賞体験の一つ」とまで書いた批評もある。
この温度差こそが、今回のCINE GO ROUNDで扱いたい主題だ。日本公開は未定のまま、Neonが7月24日から米国で限定公開を始めたこの作品を、賞レースの熱狂と批評の冷静さという二つの軸から読み解いてみたい。
TV期を経た男の帰還、そして『ドライヴ』という呪い
『Her Private Hell』は、2016年の『ネオン・デーモン』以来、実に10年ぶりとなるレフンの長編である。この間、彼は『トゥー・オールド・トゥー・ダイ・ヤング』などTVシリーズの演出に軸足を移していた。今回の劇場復帰作にも、TV的なリズムや反復構造が滲んでいると見る向きは多い。
ただ、率直に言えば、業界にも観客にも、レフンには『ドライヴ』のような佳作を、という期待が根強くあるはずだ。寡黙で洗練された、あの引き算の美学をもう一度見せてほしい。10年という空白の長さは、その期待値をむしろ押し上げてしまった側面もあるだろう。今回の『Her Private Hell』が「レフンのグレイテスト・ヒッツ」的な自己模倣に映るという評が相次いだのは、この期待とのすれ違いを物語っているのかもしれない。
両作の違いを一言で言えば、スタイルが物語に奉仕しているか、スタイル自体が主役になっているか、という差だろう。『ドライヴ』の色彩や音響設計は、あくまでドライバーという寡黙な男の緊張感を伝える手段として機能していた。一方『ネオン・デーモン』以降のレフンは、極端な色彩やシンメトリー構図、スローモーションが「見て見て」と自己主張し、観客は物語を追う以前に「これはレフンの画だ」と常に意識させられる。『Her Private Hell』への酷評の多くが指摘していた”美学だけが空回りしている”という感覚も、突き詰めればこの一点に集約される。
近未来の東京、という日本の観客へのフック
本作は二つの物語が並走する構成を取る。父を探す女優エル(ソフィー・サッチャー)の物語と、失われた娘を探すアメリカ人兵士プライベートK(チャールズ・メルトン)の物語だ。後者の舞台は近未来の東京とされ、忽那汐里、西島秀俊といった日本人キャストの名も配役に並ぶ。
レフンの美学— ネオン、ジャッロ的色彩設計— が、なぜ近未来の東京という舞台と結びつけられたのか。日本公開が未定である以上、この東京パートがどのような文脈で描かれているのか、現地の反応を先取りして伝える意義は小さくないはずだ。
「12分」の中身を分解する
拍手の長さだけを見れば、本作は今年のカンヌで最長クラスの熱狂を集めたことになる。『フィヨルド』と並ぶ12分間という数字は、確かに強い。
ただし、この数字を額面通りに受け取るのは早計かもしれない。プレミア上映後、レフンとキャストは場内の照明が戻った後も観客を煽り続けており、それが拍手時間を押し上げた可能性がある、と現地メディアは注釈を付けている。さらに前日までのInstagramでは、レフン自身が「なにかgroovyなもの」といった予告的な投稿と断片的な舞台裏写真を継続的に発信しており、期待値の醸成そのものがプロモーションの一部として機能していたと見ることもできる。
一方で批評は対照的だ。IndieWireは本作を惨めな鑑賞体験と評し、Varietyもかつての『ネオン・デーモン』が持っていた不穏な求心力が今回は崩壊に終わったと指摘した。RogerEbert.comのタレリコ評も、レフンのこれまでの引用のパッチワークが、今回に限ってはひどく空虚に映ると述べている。賞賛と酷評、その両極がここまで綺麗に分かれる作品も珍しい。
涙という戦略、あるいは本物の告白か
上映翌日の記者会見で、レフンは涙を見せた。2023年、彼は心臓の疾患で「25分間死んでいた」と語り、生還までの経緯を赤裸々に明かしている。血液が逆流する心臓、緊急手術、そして「もう一度チャンスをもらえる人がどれだけいるだろうか」という言葉。この告白は会見場に大きな拍手を引き起こした。
この涙をどう位置づけるべきか。手がかりとして、レフンの妻リヴ・コーフィクセン監督によるドキュメンタリー『マイ・ライフ・ディレクテッド・バイ・ニコラス・ウィンディング・レフン』(2014)を補助線に置いてみたい。同作は『オンリー・ゴッド・フォーギヴス』のカンヌ上映を巡る内幕を追ったもので、賛否が真っ二つに割れたことをレフン自身が「効果があった証」として肯定的に受け止める場面が印象的だ。今回の号泣について、レフンが賞レースのために意図的に演出したとまでは断定できないが、賛否両論そのものを作品の一部として引き受け、むしろ利用してきた作家であることは、このドキュメンタリーからも読み取れる。
結びに
12分の拍手、涙の告白、そして酷評の山。これらはどこまで作品の質と結びついているのか、あるいは独立した”儀式”に過ぎないのか。日本公開が未定の今だからこそ、この記事は現地の熱量と冷静な評価の両方を、フラットに並べておく意味があると考える。『ドライヴ』を作った男への期待は、今回も満たされなかったのかもしれない。それでも次作への期待を捨てられないのは、彼がまだ賛否を引き受け続けているからだろう。
「儀式と評価の乖離」という仮説
実はこの記事は書き上げ時点から3週間が経過していた。暦も8月になり、米国公開後の数字が出揃っていた。675館展開で初週興収は53万ドル、劇場あたり平均はわずか785ドルという不振に終わっている。これは同じくレフンが手がけた2016年の『ネオン・デーモン』(783館展開、初週58.9万ドル)をも下回るペースで、Deadlineは10年ぶりの新作に向けてレフン自身がかなり宣伝を打ってきた末の結果だと皮肉交じりに報じた。製作費は600万ドル規模とされ、そもそも興行的な規模を狙った作品ではないにせよ、配給を手がけたNeonにとっても想定を下回る滑り出しだったとみられる。
批評面でも厳しさは変わらない。Rotten Tomatoesで43%、Metacriticで44、IMDbでは4.9/10(のちに5.125/10、16票時点)という低評価が並んでいる。
つまり、カンヌで見せた12分間のスタンディングオベーションという熱狂は、その後の一般公開において興行にも批評にも一切反映されなかった、ということになる。本稿で提示した「儀式と評価の乖離」という仮説は、皮肉にも実際の数字によって裏付けられた形だ。
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