
今、グレッグ・アラキが新作を撮る理由——『I Want Your Sex』、12年ぶりの復帰作をめぐる舞台裏
7月31日、全米で静かに公開されたグレッグ・アラキの最新作『I Want Your Sex』——なぜ12年も新作を撮らなかったのか、なぜ今このタイミングで、なぜこの座組だったのか——疑問が湧き上がるアラキについてCINEMANAUTで取り上げたい。

12年という空白の中身
グレッグ・アラキの前作『ブリザード 凍える秘密』は2014年。
ニュー・クィア・シネマの担い手として1990年代に『トータリー・ファックト・アップ』『ドゥーム・ジェネレーション』『ノーウェア』のティーン・アポカリプス三部作でその名を刻み、2000年代以降も『謎めいた肌』『カブーン!』とヴェネチアやカンヌを主戦場にしてきた監督の、実に12年ぶりの劇場公開作がこれになる。
空白期間、彼が何もしていなかったわけではない。『ナウ・アポカリプス 〜夢か現実か!? ユリシーズと世界の終わり』では全10話をアラキ自身が監督し、撮影期間はわずか40日、4日に1話というハイペースで撮り切っている。むしろこのテレビでの経験が、今回の低予算・タイトスケジュールの映画制作を可能にした側面が大きい、と本人は語っている。
当初は男性と女性キャラは入れ替わっていた——約14年前のスペック脚本
契機は2012〜13年に遡る。脚本の原型は、共同脚本のカーリー・ショルティーノが10年以上前に書いたスペック脚本で、当時は女性インターンと男性ボスという構図だった。アラキがショルティーノと出会ったのもこの脚本がきっかけで、彼が最初に読んだのは『ブリザード 凍える秘密』を撮る前後の2012〜13年ごろだったという。
そこから2015〜16年にかけて一度映画化の話が進みかけるも、インディー映画にはよくある話として頓挫している。この不成立が、結果的に作品の性別構図を反転させる転機になった。
#MeToo以後の性別反転
#MeToo以降、女性が(たとえ合意の上であっても)髪を掴んで引きずられるような画をこれ以上見たくない、広めたくないという感覚が強まり、アラキは自分のアイデアそのものへの愛着を失っていったと振り返っている。そこで男女の力学を反転させ、女性ドム×男性サブという構図に変えたことで、初めてエリカ・トレイシーというキャラクターが生まれた。
エリカのイメージは、ロバート・メイプルソープとマドンナを掛け合わせたような、アートワールドの巨大で挑発的、カリスマ性のある「セックス・スーパーヒーロー」だという——脚本のト書きにも実際そう書かれているらしい。
サンダンス映画祭の週末で決まった資金調達
ここからのスピード感が制作エピソードとしては一番面白い。オリヴィア・ワイルドはアラキのレーダーには最初から入っておらず、アラキのマネージャーが本人に断りなく彼女のエージェントに脚本を渡していたという。
アラキは金曜日にワイルドと初顔合わせし、その場で「出演してもらえるなら資金調達を試みたい」と伝えると、彼女は快諾。夕方5時に車に戻った時点ではまだ何も決まっていなかったが、月曜か火曜にはBlack Bearから出資の申し出があった。ワイルド自身も、脚本を読んだ夜の反応をこう振り返っている——ソファでゲラゲラ笑いながら、二人(アラキとショルティーノ)にボイスメモを送りまくって、この役をやらせてほしいと即答したのだという。
クーパー・ホフマンの起用は、ワイルド側からの提案だった。アラキ自身は当初「『リコリス・ピザ』のあの子? それはちょっと気味が悪いし変だ、まだ子供じゃないか」と面食らったが、フィリップ・シーモア・ホフマンの息子としての血筋ゆえの佇まいの良さが、ワイルドと対等に渡り合える説得力を生んでいたと評価を一転させている。
クーパー・ホフマンという「アラキの若い頃」
ホフマン自身は、実はオファーが来た時点でアラキの作品を知らなかった。『謎めいた肌』から入って夢中になり、ちょうどNYの人気映画館Metrographで『トータリー・ファックト・アップ』の上映があったこともあって一気にフィルモグラフィーに惚れ込んだという後追い方式。一方でワイルドとの共演については、父親と一緒に『ドクター・ハウス』を見ていたほどのファンだったと明かしている。
ロールに入り込むための身体的な変化も象徴的だ。アラキ本人によれば、ホフマンの耳のピアスとタトゥーは意図的にアラキ自身を模したもので、22歳当時の「自分はアーティストになりたいが、何になるのか分からない」というアラキ本人を投影したキャラクター造形だったという。エリカがアラキの発言の「引用」であるのに対し、エリオットは「若い頃の自分が今の自分を食う」役回りだったと、アラキは表現している。
撮影期間はわずか17日間というタイトなスケジュールで、ホフマンは慣れない衣装と脆弱な演技をクルーの前でこなす必要があった。本人いわく「怖くて仕方なかったが、それ以上にやる理由がなかった」——撮影序盤に設定された特にハードな数日間を、彼は「クソ、こんなことまでやるのか」という意味で”oh, fuck days”と呼んでいたそうだ。それでもアラキとワイルド双方が守ってくれる感覚があり、スパンキングされるシーンや大声で叫ぶシーンでも、利用されている感覚にはならなかったと振り返っている。
初めて起用したインティマシー・コーディネーター
業界的に興味深いのは、アラキがキャリアで初めてインティマシー・コーディネーターを起用した点だ。起用したのはイェフダ・デュニャスという人物で、アラキは2022年のShowtimeリブート版TVシリーズ『アメリカン・ジゴロ(American Gigolo)』(1980年のポール・シュレイダー版の翻案、ジョン・バーンサル主演)で1話を演出した際に彼と知り合っており、機能しないコーディネーターも多いと聞いていたため、あえて彼を指名で探し出したという。余談だが、このシリーズ自体は評論家から「あの名作を焼き直す必然性が見えない」と手厳しく評された一方、アラキとシェリル・デュニエが手掛けた終盤のエピソードについては「シリーズの視覚的な方向性は最初からこの二人に任せるべきだった」という評も出ていた。インティマシー・コーディネーターが一般化する以前から性描写を撮ってきた自負があり、自分自身は気まずさを感じたことはなかったが、俳優たちのためにこの体制を敷いたという語り口には、業界の変化にどう向き合ってきたかがよく出ている。ホフマンもイェフダ・デュニャスについて、テイクのたびに「大丈夫?調子はどう?」と声をかけてくれる、最高に頼れる存在だったと語っている。
美術と衣装——低予算でどう「見せる」か
制作面でもう一つ面白いのは、美術・衣装の座組だ。プロダクションデザイナーのアンジェリーク・クラークとは初タッグで、エリカのオフィス(脚本上11ページもの尺をそこで過ごす「黒い箱」)をどう単調にせず生かすか、背後に映像絵画を仕込むアイデアなど、予算とスケジュールの制約の中でアラキの野心を形にする役を担った。エリオットの寝室にある、性器を思わせる壁の穴のようなオブジェも、クラークが写真から着想を持ち込んだアイデアだったという。
衣装デザインのアリ・フィリップスは、ワイルドが『ドント・ウォーリー・ダーリン』で組んだ縁からの提案で、本来インディー規模の映画はやらないオスカーノミネート経験者だったが、脚本とワイルドを気に入って参加したという。アラキが特に気に入っているエピソードとして、メイソン・グッディングがアート展のシーンで着る体を透かすプラスチックの一枚仕立てを、ファッションショーで見かけて写真を送ったところ、フィリップスから「それはクリスチャン・シリアーノ、友人よ」と返信があり、2日後にはランウェイ直送でオフィスに届いていたというスピード感は、この作品全体の「奇跡的に噛み合った座組」を象徴している。
Z世代の性、監視社会、そしてアルモドバル
思想的な背景として、アラキ自身が繰り返し言及しているのが「Z世代のセックス離れ」という統計的言説だ。Z世代の性への無関心を、恥の感覚だけが解決しうる問題として突きつける内容だと評されている一方で、アラキ本人は世代を非難する意図はないと強調している。若い頃、ゲイバーへこっそり行った経験こそが自分を形作った原体験であり、常時監視・常時撮影される現代の若者には、その”こっそり感”自体が失われているのではないかという指摘は、単なる説教ではなく本人の実感に根ざしたものとして語られている。
映像面での参照先も明確で、『サンセット大通り』的なフィルムノワールの額縁構造と、80年代のアルモドバル作品『欲望の法則』『マタドール/炎のレクイエム』のスタイライズされた質感からの影響が大きいと本人が明言している。「preposterous film noir(馬鹿馬鹿しいフィルムノワール) 」と自ら名付けたこの構造は、『セブン』のあの取調室的なシーンさえ違和感なく同居させる、アラキらしい引用の奔放さを持つ。
パークシティ開催、最後の年にサンダンス映画祭プレミアという節目
もう一つ、時代の節目としての側面も記しておきたい。サンダンス映画祭は2025年3月、40年以上続けてきたユタ州パークシティでの開催を終え、2027年からコロラド州ボルダーへ本拠を移すことを正式発表している。会場・宿泊施設の不足や、コロラド州側が用意した10年で3400万ドル規模の税優遇措置などが背景とされ、2026年1月開催分がパークシティでの最後の年になる。本作のサンダンス映画祭プレミアは、まさにそのパークシティでの開催としてはアラキにとって11回目にして最後の上映になったという。90年代からニュー・クィア・シネマの震源地であり続けたサンダンス映画祭と、そこに帰ってきたアラキという構図自体が、一つの時代の折り返し地点を感じさせる。
編集後記:日本での配給・公開時期については現時点で情報がないが、Black Bear Pictures作品としての実績や、グレッグ・アラキの日本での根強いカルト的支持を考えると、配信もしくは単館規模での上陸は十分にありうる。続報が出次第、CINE GO ROUNDで追いたい。
『I Want Your Sex(原題)』(2026年・アメリカ・1時間30分)
監督:グレッグ・アラキ
出演:オリヴィア・ワイルド、クーパー・ホフマン、メイソン・グッディング、チェイス・スイ・ワンダーズ、ジョニー・ノックスビル、マーガレット・チョー、ロキサーヌ・メスキダ、チャーリーXCX、ダヴィード・ディグス、ジェームズ・デュヴァル 他
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