
『君の見る世界をなぞる』——ロラン・カンテが遺し、ロバン・カンピヨが引き受けた夏
8月21日、『君の見る世界をなぞる』(原題:Enzo)が日本公開された。第78回カンヌ国際映画祭・監督週間のオープニング作品という選出は、コンペでもある視点でもなく監督週間だったという点で、まず目を引く。作家性重視、新しい才能や実験的な作品を積極的に拾う傾向のあるこの部門にとって、本作が担っていたのは「新しい才能」ではなく「終わりゆく才能をどう継ぐか」という、むしろ古典的な主題だった。

南仏の夏、居場所を探す16歳
物語の舞台は南フランス。裕福な家庭に生まれた16歳のエンゾは、学校になじめず、建築現場で見習いとして働き始める。そこで出会うのが、ウクライナ出身の労働者ヴラド。エンゾは次第に彼へ惹かれていくが、ヴラドは兵役のため祖国へ戻ることになる。恵まれた家族への漠然とした不信感、将来への不安、そして戦争という現実に人が奪われていく様——エンゾはそのすべてを制御できないまま、ひと夏を過ごす。
主演のエロワ・ポユは元競泳選手で、本作が俳優デビュー作。飾らない佇まいがカンテとカンピヨの目に留まって抜擢されたという逸話も、この映画が「演技」よりも「存在そのもの」を撮ろうとしていたことを物語っている。
完成されなかった企画と、それを引き継いだ盟友
この映画のもっとも重要な事実は、スクリーンの外側にある。本作はもともと、『パリ20区、僕たちのクラス』(2008)でパルム・ドールを獲得したロラン・カンテが温めてきた企画だった。しかしカンテは癌のため2024年4月に逝去。企画を引き継いだのが、40年来の盟友であるロバン・カンピヨ監督だ。
カンピヨとカンテの関係は、単なる友人同士ではない。カンピヨは『タイム・アウト』『南へ向かう女たち』、そして『パリ20区、僕たちのクラス』まで、カンテの代表作の編集や脚本を長年にわたって担ってきた、いわば共作者そのものだった。だからこそ本作のクレジットは「ロラン・カンテ原案、ロバン・カンピヨ監督」という単純な引き継ぎの表記ではなく、二人の作家性がどこまでも溶け合った形で提示されている。
カンピヨ自身は『BPMビート・パー・ミニット』(2017年カンヌ・グランプリ)で知られるゲイの監督であり、カンテは異性愛者の作家だった。この組み合わせが、エンゾとヴラドの間に漂う曖昧な性的緊張感——決して「ゲイ映画」と言い切れない、輪郭のはっきりしない欲望の描き方に厚みを与えているという評もある。階級や労働環境への関心はカンテの一貫したテーマ系譜であり、思春期の少年の欲望と孤独はカンピヨの『イースタン・ボーイズ』などに通じるテーマだ。一人の作家では生まれ得なかった映画、という言い方もできる。
「巨匠が完成できなかった映画」は、今年もう一本あった
興味深いことに、この構造は2025年、決して珍しいものではなかった。同じ2025年カンヌで上映されたドイツ映画『白パンと独裁者』(ファティ・アキン監督)も、実は同型の継承劇だ。本来監督を務めるはずだった脚本家ハーク・ボームが健康上の理由から降板し、長年の協力者だったファティ・アキンに監督を託した。ボーム自身は映画公開後の2025年11月に世を去っている。
師の未完の意志を、盟友や弟子が引き受けて完成させる——この型は決して目新しいものではなく、日本にも黒澤明の未着手の企画を熊井啓が完成させた『海は見ていた』(2002)のような先例がある。今回はここまでの紹介にとどめるが、こうした「継承のドラマトゥルギー」の背後には、単なる美談では片づけられない製作会社の存続や資金繰りの事情が絡んでいることも少なくない。本作の製作陣にダルデンヌ兄弟のLes Films du Fleuveが名を連ねている点も含め、この産業構造的な側面は、今後のCGR回で改めて掘り下げたい。
遺作でありながら、遺作らしくない
『君の見る世界をなぞる』を見終えて残るのは、悲愴さよりもむしろ瑞々しさだ。カンピヨ自身、本作を「陰鬱な映画ではなく、光に満ちた映画」だと語っている。カンテの死を悼む鎮魂歌としてではなく、彼が生涯かけて見つめ続けてきた「社会の周縁で生きる人々」への眼差しを、盟友がもう一度、夏の光の中に取り戻したような映画だ。
Filmarksでの評価はまだ45件、平均3.7点と発展途上だが、本作の価値は動員規模で測れるものではないだろう。カンテの遺志がどのようにスクリーンに定着したか——その一点を確かめるためだけでも、劇場に足を運ぶ価値がある。
『君の見る世界をなぞる』(2025年・フランス・ベルギー・イタリア・1時間42分)
監督:ロバン・カンピヨ
原案:ローラン・カンテ
出演:エロワ・ポユ、ピエルフランチェスコ・ファビーノ、エロディ・ブシェーズ、マクシム・スリビンスキー、ナタン・ジャピ、
ブラディスラフ・ホリク、マルー・ケビジ、フィリップ・プティ
配給:樂舎
公開日:2026年8月21日
©︎ Les Films de Pierre / Lucky Red / Page 114 / Les Films du Fleuve / France 3 Cinéma / AMI, Alexandre Mattiussi
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