
『顔 かお』― ヨン・サンホが見つめた、噂という名の暴力
『新感染 ファイナル・エクスプレス』でゾンビ映画というジャンルそのものを塗り替えた監督、ヨン・サンホ。その最新作『顔 かお』(原題:The Ugly)が、8月28日より新宿武蔵野館ほかで全国順次公開される。本作は彼自身が手がけたグラフィックノベルの映画化であり、ゾンビもパンデミックも登場しない、噂と真実のあいだで引き裂かれた家族を描くヒューマンミステリーだ。ジャンルの看板を外した監督の作家性は、果たしてどこまで一貫しているのか。本稿では作品評とあわせて、その連続性を考えてみたい。

Story:
判子彫刻の名匠イム・ヨンギュ(老年期:クォン・ヘヒョ、青年期:パク・ジョンミンの一人二役)は、視覚障がいを抱えながらもその道を極めた職人。あるとき、テレビ局のディレクター、キム・スジン(ハン・ジヒョン)がヨンギュにドキュメンタリー出演を持ちかける。息子のイム・ドンファン(パク・ジョンミン)は、父のためにその撮影クルーの様子を見守ることになる。
だが撮影が進むさなか、警察から一本の連絡が入る。40年前に失踪した母――ドンファンの記憶にはほとんど残っていない――ジョン・ヨンヒ(シン・ヒョンビン)の遺骨が発見されたというのだ。埋められていた状況から他殺が疑われ、ドンファンとスジンは母の足取りを追い始める。取材を重ねるうち、清渓川の縫製工場でかつて働いていた母が、従業員仲間からは容姿を理由に、人格を無視した侮蔑的なあだ名で呼ばれていたことが明らかになっていく。韓国の急速な近代化の陰に埋もれていた、社会の残酷さが浮かび上がるってくる。
パク・ジョンミンは息子ドンファンと青年期のヨンギュを一人二役で演じており、この起用は俳優自身の提案によるものだという。本作の演技で百想芸術大賞最優秀演技賞を受賞している。トロント国際映画祭でワールドプレミアを果たしたのち、韓国の映画賞である青龍映画賞では作品賞・監督賞・脚本賞・主演男優賞など10部門にノミネートされた。
Behind The Inside:
ゾンビ映画の作家が”顔”に辿り着いた必然性
ヨン・サンホのフィルモグラフィーを振り返ると、彼が一貫して描いてきたのは「制度や社会構造の中で疎外される個人」だ。『新感染』シリーズにおけるゾンビは、パンデミックそのものよりも、極限状況下で露わになる人間同士の分断と差別構造を映し出す装置として機能していた。アニメーション作品『ソウル・ステーション/パンデミック』でも、社会の底辺に置かれたホームレスの排除という主題が根底にあった。
『顔 かお』における「噂」という主題は、この延長線上にあると考えられる。本作が見つめているのは、根拠のない噂や思い込みが、確かめる術を持たない者の中でいつしか”事実”として固まっていく過程だ。ゾンビ映画において群衆が根拠のない恐怖や噂に流されて他者を排除していく構造を、ヨン・サンホは今回、一つの家庭という最小単位にまで縮小して描き直したとも言える。ジャンルの装置を外したことで、彼が一貫して見つめてきた「集団的な思い込みによる個人を追い詰める暴力性」の輪郭が、むしろくっきりと浮かび上がる一本になっている。
『新感染』4Kリバイバル公開という宣伝戦略
配給側の動きにも触れておきたい。本作の公開に合わせて、ヨン・サンホの出世作である『新感染 ファイナル・エクスプレス』が4K版でリバイバル上映(8月21日より全国60館/1週間限定上映)される。これは単なる旧作上映企画ではなく、明確な意図を持ったマーケティング施策だと見ていい。
『新感染』は日本でも興行的に成功したタイトルであり、一般認知度の高さでは『顔 かお』を大きく上回る。ミニシアター系での公開規模にとどまる新作単体では動員に限界があるところを、”あの『新感染』の監督の新作”という文脈を、リバイバル上映という体験を通じて観客に再確認させる。これは新作とカタログタイトルを組み合わせて動員の裾野を広げる、配給側の定石とも言える戦略だ。ジャンルを変えた監督の新作を、旧作のブランド力で下支えする――このやり方自体が、ヨン・サンホというブランドがすでに一定の”作家で観る”層を持っていることの証左でもある。
観る前に知っておきたいポイント
- 本作はゾンビ映画でもパンデミック映画でもない。『新感染』のイメージで劇場に向かうと肩透かしを食う可能性がある。
- 原作はヨン・サンホ自身によるグラフィックノベル。監督が長年温めてきた企画だという点は、作家性を読む上で押さえておきたい。
- パク・ジョンミンの演技は本作の評価の核。表情の多くを制限される役どころでの評価という点でも異例。
Under The Film:
今年はヨン・サンホの年
ゾンビという装置を外しても、ヨン・サンホが見つめる対象は変わっていない。『顔 かお』は、社会の眼差しによって顔=アイデンティティを奪われた者を、より剥き出しの形で提示した一本だ。そして、今年のカンヌにて上映された公開待機作『Colony(原題)』、Netflixで話題を呼んだ『ガス人間』への脚本参加など、話題に事欠かない年となっている。また公開から10年が経った代表作『新感染』を4Kリバイバル(8月21日より全国60館/1週間限定上映)として並べるという配給側の判断は、裏を返せば「ジャンルを外したヨン・サンホ単体では、まだ観客を呼びきれない」という興行上の現実を映してもいる。作家性の深化と、それを支えるためにブランド力に頼らざるを得ない配給の事情――この二つが同じスクリーンに同居している点にこそ、本作の公開を面白くしている。
『顔 かお』(2025年・韓国・1時間43分)
監督:ヨン・サンホ
出演:パク・ジョンミン、クォン・ヘヒョ、シン・ヒョンビン、イム・ソンジェ、ハン・ジヒョン
配給:ツイン
公開日:2026年8月28日
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