
ヘルツォークがついに完結させる「妄執三部作」、『Bucking Fastard』
意思疎通が完全に同期し、同じ男を愛し、同じ夢を見て、法廷でさえ同時に同じ言い間違いをする——そんな双子の姉妹ジーンとジョアン・ホルブルック(ルーニー・マーラ、ケイト・マーラ)が、真実の愛が存在するという架空の理想郷”オークニー”を求め、山脈にトンネルを掘り進めていく物語。オーランド・ブルームは二人が共有する元恋人ゲアレスを、ドーナル・グリーソンは彼女たちの監視役を演じる。
今更、三部作の完結?——常人には理解不能な妄執
まず驚くのは、この作品がヘルツォーク自身によって「三部作の完結編」と位置付けられていることだろう。ヘルツォークは本作についてこう語っている。
「『Bucking Fastard』は、僕にとって『フィッツカラルド』(1982年)『グリズリー・マン』(2005年)に続く”オペラ的な三部作”を完結させる一つの円環となる作品だ。僕らはジーンとジョアンが見ている世界そのものを見ることはできないが、彼女たちに対して世界がどう反応するかは見ることができる——法廷やメディアを通して、彼女たちを助けたい者や利用したい者たちを通して、飼い慣らされた獣と野生の獣、両方の目を通して、そして地の中心にこだまする彼女たち自身の反響を通して」
密林でオペラハウスを作ろうと汽船を山越えさせた男フィッツカラルド、クマの保護活動を通して野生の世界に同化しようとして命を落とした男グリズリー・マン、そして、本作での真実の愛を求めて山にトンネルを掘る双子姉妹。並べてみると、題材そのものの共通性は薄い。つながっているのは方法論の方だ。常人には理解不能な妄執を抱く人物を、その内面を直接描くのではなく、”周囲がどう反応するか”というフィルター越しに間接的に浮かび上がらせる——『グリズリー・マン』はトレッドウェル本人が遺した映像とその死を、『フィッツカラルド』は蛮行そのものの不条理さを、それぞれ経由して人物像を照らしてきた。本作もまた、双子の内面ではなく法廷・報道・獣たちの視線という”外側の反応”を通して二人を描く構造になっている。「今更、三部作?」という驚きは、方法論の一貫性に気づいた瞬間に、そのまま納得に変わる仕掛けになっている。
カンヌで蹴られ、ヴェネチアへ
本作は当初、2026年カンヌ映画祭への出品を目指していた。ヘルツォークはマーラ姉妹の演技を賞レースの対象にしたいという狙いから、コンペティション本選入りにこだわったとされる。しかしカンヌ側が提示したのは、コンペを外れた作品向けの”Cannes Premiere”枠だった。ヘルツォークはこれを固辞し、結果としてヴェネチアのコンペ本選に回ってきたという経緯がある。
この判断の背景には、ここ20年のヘルツォークの評価の推移も影響していそうだ。近年は劇映画よりドキュメンタリーが中心で、2006年『レスキュー・ドーン』、2009年『バッド・ルーテナント/オルリンズの給金稼ぎ』以降の劇映画は「凡庸」と評されがちだった、という下地がある。今回、7年ぶりの劇映画復帰であるにもかかわらずカンヌがコンペ本選を提示しなかった背景に、その評価の蓄積があった可能性は十分に考えられる。
ヴェネチアという映画の聖地——筆者の実体験から
ここでひとつ、個人的な経験を挟みたい。筆者は2001年のヴェネチア映画祭で、ティム・ロス出演の『神に選ばれし無敵の男』を出品中のヘルツォークに単独インタビューする機会を得た。1930年代ベルリンの見世物小屋を舞台に、怪力自慢のユダヤ人青年を描いた実話ベースの作品だ。
その際、ヘルツォークは「今は映画よりも舞台演出の方が好きだ、ドキュメンタリーも撮っている」といったことを語っていて、正直なところ少々拍子抜けした記憶がある。『フィッツカラルド』にあったような常軌を逸した閃き——あの蛮行そのものが放つ狂気の熱——は、目の前の本人からは感じられなかった。ただ、90年代以降の低予算でフットワーク軽く撮れる作品へと作家活動がシフトしていった様子から、世界で起きている特定の人物や事象への、独特の眼差しを持っている人だという印象は強く残った。嫌いではない、という距離感で今日まで見てきた作家だ。
面白いことに、『神に選ばれし無敵の男』のヴェネチア上映日は2001年9月3日。今回の『Bucking Fastard』のワールドプレミアも、奇しくも同じ9月3日にあたる。さらにヘルツォーク本人は、『神に選ばれし無敵の男』のヴェネチア上映時に自身のキャリア最長のスタンディングオベーションを受けたと語っており(本国ドイツでは酷評されたのとは対照的だったという)、2025年には功労賞にあたる金獅子賞(Golden Lion for Lifetime Achievement)もヴェネチアで受賞している。カンヌで冷遇され、ヴェネチアで祝福される——この巡り合わせを見る限り、ヘルツォークにとって縁が深いのはカンヌよりもヴェネチアの方なのかもしれない。
終わっていない、という宣言
2025年の金獅子賞(功労賞)授与に際してヘルツォークは「僕はまだ終わっていない(“I am not done yet”)」と語っている。実際、その言葉通りドキュメンタリー『Ghost Elephants』を完成させ、並行して本作の撮影も進めていた。今年で83歳になる作家が、7年ぶりの劇映画で、しかも自らのフィルモグラフィーの中に”三部作”という新しい補助線を引いてみせる——その振る舞い自体が、ヘルツォークらしいと言えばらしい。中身を観る前から、その一手にまず唸らされる。
『Bucking Fastard(原題)』(2026年・アイルランド・アメリカ・1時間49分)
監督・脚本:ヴェルナー・ヘルツォーク
出演:ルーニー・マーラ、ケイト・マーラ、オーランド・ブルーム、ドーナル・グリーソン 他
第83回ヴェネチア国際映画祭・コンペティション部門
日本公開:未定(本稿執筆時点)
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