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Woman Unknown、メイ・エル・トーキー、マティルデ・アーセル・フォック、第83回ヴェネチア国際映画祭

女性監督の中で「唯一の適任者」という言葉——『Woman Unknown』とヴェネチア83が抱える矛盾

ヴェネチア国際映画祭83回目のコンペティション部門、全20作品中、女性監督作品はたった1本。デンマーク・エジプト系監督メイ・エル・トーキー(May el-Toukhy)による『Kvinde Ukendt(Woman Unknown)』だけが、その枠を担っている。数字だけ見れば「またか」で済ませられる話かもしれない。だが今年は例年と少し温度が違う。芸術監督アルベルト・バルベラの発言、審査員長にマギー・ギレンホールが就いたという巡り合わせ、そして何より肝心の作品自体が持つ力——この3つが重なり合って、単なる「多様性不足」の見出しでは片づけられない構図を作っている。



「彼女は、我々が見つけた中で唯一、十分な質を持つ監督だった」

今回の炎上の発火点は、バルベラの発言そのものだ。長年クオータ制(割当制)に反対し、「性別ではなく作品の質で選ぶ」と一貫して主張してきた彼が、今年のラインナップ発表後のインタビューで、エル・トーキーについて趣旨としてこう語ったと報じられている——女性監督で唯一選ばれたのは、質が十分だと判断できた作家が彼女だけだったからだ、と。

この発言が飛び火した理由は単純で、「今年の女性監督の提出作品はどれも水準に達していなかった」と公言したに等しいからだ。イタリア・欧州の映画関連団体は連名で公開書簡を出し、「男性の視点だけを通して世界を見続ける映画祭であることは憂慮すべきだ」と抗議。オリゾンティ部門ではイタリア人女性監督が2名(アリーナ・マラッツィ、アンナ・フォリエッタ)にとどまっている点も名指しで批判の対象になった。

バルベラ自身の反論も一貫している。「2000年以降、ヴェネチアはカンヌやベルリンよりも多くの女性監督にトップ賞を渡してきた」というものだ。事実、クロエ・ジャオ(2020年)、オードレイ・ディヴァン(2021年)、ローラ・ポワトラス(2022年)と3年連続で金獅子賞が女性監督の手に渡った実績がある。だからこそ今回の「1/20」という数字とのギャップが際立ち、「実績はあるのに、なぜ今年に限ってこれほど絞られたのか」という疑問が消えない。

埋もれがちな事実——これは”滑り込み”の作品ではない

炎上の文脈だけを追うと見落としがちだが、エル・トーキーは実力で評価されてきた作家だ。長編2作目『罪と女王』(2019年)は、ロッテン・トマトで30本のレビュー中97%という高評価を記録し、サンダンス映画祭ワールドシネマ・ドラマティック部門の観客賞、ヨーテボリ映画祭でのベスト北欧映画賞、トランシルヴァニア国際映画祭でのベスト監督賞を獲得している。継母と義理の息子の禁断の関係を通じて、加害と被害の構図を反転させる大胆な作劇が高く評価された一作だ。

『Woman Unknown』は、その『罪と女王』で組んだ脚本家マレン・ルイーズ・ケーヌとの再タッグ作。デンマーク・スウェーデン・ラトビアの国際共同製作、124分。9月6日にワールドプレミアを迎える。

Story&Subject:

舞台は終戦直後のデンマーク。ベビーシッター兼家政婦として働くマリー(マティルデ・アーセル・フォック)は、雇い主である裕福な年上のクリスチャン(カーステン・ビョルンルンド)との結婚を目前に控えている。安定と社会的地位を約束してくれるはずの縁談だが、マリーには一つ、決して知られてはならない過去があった——占領下にドイツ人兵士と関係を持っていたのだ。戦後のデンマークで対独協力者への視線がなお厳しく残るなか、その過去が表面化しかけたことで、マリーはようやく手にした「屋敷の女主人」という立場を守るため、あらゆる手を尽くさざるを得なくなっていく。

エル・トーキー自身、本作について女性の身体そのものを「戦場」として描いたと語っており、その葛藤は戦争という文脈を超えて普遍的なものだとしている。『罪と女王』同様、道徳的に単純化できない女性主人公を通じて、加害と被害、体面と本音の境界を揺さぶる作りになっている点は、監督の作家性が一貫していることを裏付けている。

つまりこの作品は「枠だから選ばれた」のではなく、監督のキャリアの延長線上にある、むしろ本命候補と呼んでいい位置にいる。ここが今回の構図の皮肉なところで、当のエル・トーキー自身は自分の実力とは無関係な文脈で「代表」に祭り上げられている。

一人に背負わされる「代表」という重み

構造的な問題は、彼女個人の資質とは別のところにある。本来なら、コンペに入るべき水準の女性監督がもっと多く存在していたはずで(オリゾンティ部門では19作品中8作品、およそ42%が女性監督作品という数字がそれを裏付けている)、その大多数が本編コンペには「ジャンプアップ」できなかった。エル・トーキーはその中で唯一選抜ラインを超えた1人であり、いわば生き残った代表選手だ。

問題は、こうなると作品そのものへの評価より先に「紅一点としてどう戦うか」という文脈が観客・批評家の側にも刷り込まれてしまうことだ。本来であれば『罪と女王』の高評価や題材の骨太さを軸に語られるべき作品が、「女性が1人しかいない年の、その1人」というレッテルを最初に貼られた状態でプレミアを迎える。これは監督にとって決して有利な状況ではない。作品の中身以前に、政治的な文脈込みで消費されるリスクを最初から背負わされているからだ。この構図がプレミア後の批評の受け止められ方にどう影響するかは、実際のレビューが出るまで分からない。

審査員長がマギー・ギレンホールである、という巡り合わせ

そしてもう一つ見逃せないのが、今年の審査員長の人選だ。マギー・ギレンホールは、2021年に自身の監督作『ロスト・ドーター』でヴェネチアの脚本賞を受賞した実績を持つ。中年女性の内面と母性への葛藤を容赦なく描いた作品で、直近では『ザ・ブライド!』(2026年)——フランケンシュタイン神話をフェミニズム的な視点で再解釈した作品——を発表したばかりだ。バルベラ自身、彼女を「知性と勇気をもって築かれてきた、類を見ない一貫性を持つ作家的軌跡」と評してこの起用を決めている。

つまり今年のヴェネチアは、女性の内面や抑圧を描くことをキャリアの核に据えてきた監督を審査員長に迎えながら、コンペ本編ではその同じテーマを扱う女性監督をほぼ締め出すという、ねじれた構図になっている。ギレンホール自身は就任コメントで「判定者としてではなく、好奇心と称賛と興奮の中で臨みたい」と語っており、この論争について公に踏み込んだ発言はまだない。ただし彼女が過去5年で3人目の女性審査員長(2020年ケイト・ブランシェット、2022年ジュリアン・ムーア、2024年イザベル・ユペール)という並びを踏まえると、今回のラインナップ論争に対して会見等で見解を問われる場面は十分に想定される。

政治的な焦点を背負わされている作品——ヴェネチアという場が試される

『Woman Unknown』を「女性枠の代表作」として片づけるのは、この作品にとっても、メイ・エル・トーキーという作家にとっても、いささか不公平な扱いだ。実績十分の作家が、構造的な選抜の歪みのせいで望まない形で政治的な焦点を背負わされている——これが今回の実情に近い。9月6日のプレミア以降、批評がこの作品を「作品として」語れるかどうかは、ヴェネチアという場そのものが今、試されている部分でもある。


『Woman Unknown』(2026年・デンマーク・ラトビア・スウェーデン・2時間4分)
監督:メイ・エル・トーキー
脚本:メイ・エル・トーキー、マレン・ルイーズ・ケーヌ
出演:マティルデ・アーセル・フォック、カーステン・ビョルンルンド、フローラ・デ・ザンダー 他
第83回ヴェネチア国際映画祭・コンペティション部門


Reels:

罪と女王(字幕版)

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