
『DAU』はなぜ燃えたのか——20年がかりの映画が抱えた出資構造という火種
一本の映画に見える、20年分の出資の地層
2026年ヴェネチア国際映画祭のコンペティション部門に、イリヤ・フルジャノフスキー監督『DAU』が選出されている。
まず前提を整理しておきたい。今回コンペに出ているのは、700時間の素材から生まれた14本の映画・3本のTVシリーズという「DAUプロジェクト」全体ではない。2008年から2011年にかけて撮影された素材に2024年の追加撮影を組み合わせ、1928年から1968年までの40年間を195分に再構成した、単独の長編映画『DAU』である。監督自身の言葉を借りれば「20年以上に及ぶプロジェクトの集大成」だ。
この一本が、上映前からすでに国際的な政治問題になっている。
ウクライナ政府 vs ビエンナーレ、争点は「金の出どころ」
2026年8月17日、ウクライナ文化省と外務省が連名で声明を発表した。『DAU』の出品について「ロシア国家とその影響力ネットワークに紐づくプロジェクト」だとし、以下の点を根拠に挙げている。
- プロジェクトの資金提供者だったロシア人実業家セルゲイ・アドニエフが、米国・ウクライナ両国の制裁対象であること
- フルジャノフスキー監督が過去に率いた文化事業(名指しはされていないがキーウのバビ・ヤール・ホロコースト記念センターを指すとみられる)が、クレムリンに近いロシアの新興財閥から資金提供を受けていたとされること
- 主演の指揮者、作曲家でもある俳優テオドール・クルレンツィスがロシア国籍を取得し、ロシアの国家機関と協力関係にあること
- ハルキウの描写がソ連的な文脈に限定されており、ロシア帝国主義的な歴史解釈の一部だとする主張
これに対し、ヴェネチア・ビエンナーレは翌18日に反論。『DAU』はドイツ制作でフランス・スウェーデンが共同制作国であり、監督はロシア国籍を放棄してドイツ・英国・イスラエルの市民権を持ち、ロシアのウクライナ侵攻に公然と反対してきた人物だと説明した。アドニエフについても、資金提供は2019年に終わっており、ヴェネチア出品作の製作費には関与していないとした。
19日には芸術監督アルベルト・バルベラ自身が、より踏み込んだ声明を出す。この映画も監督も「ロシア映画でもプーチン支持のプロパガンダでもない」とし、フルジャノフスキーを「ロシア当局から目をつけられた反体制派」と位置づけ、「批判者の多くが映画をまだ観てすらいない」と指摘した。翌20日にはフルジャノフスキー本人も、ロシアの「外国エージェント」指定を受けた立場から詳細な反論を公開している。
双方の主張のうち、事実として確認できる部分と、双方の解釈が対立している部分は分けて見る必要がある。確定している事実は、アドニエフが2019年までプロジェクトの主要な資金提供者だったこと、フルジャノフスキーがロシア国籍を放棄していること、ヴェネチア出品版の製作費はドイツ・フランス・スウェーデンの製作会社と、監督とプロデューサーのフィリップ・ボベールが本作のために設立したIP Filmworksによるものであること。解釈が対立している部分は、この資金の切り替えを「ロシア国家との関係が実質的に清算された」と見るか、「出自の問題は消えない」と見るかという、政治的な評価の次元にある。
出資構造の変遷——公的助成、オリガルヒ、そして西欧共同製作へ
この炎上を理解する鍵は、実は20年間で3度も性格を変えてきた出資構造そのものにある。
第1期(2005〜2006年) フルジャノフスキーは自身の製作会社フェノメン・フィルムズを設立し、ロッテルダム国際映画祭のCineMartで300万ドル規模の伝記映画として資金調達をスタート。EU(ユーリマージュ)、ドイツ・スウェーデンの公的映画助成、そしてロシア文化省から2250万ルーブルの助成を受けている。この助成金は後の2015年、利息8万ルーブルを付けて全額返還された。
第2期(2006〜2019年) ロシア人実業家セルゲイ・アドニエフが個人スポンサーとして参加し、予算は当初の想定を大きく超えて膨張。撮影は伝記映画の枠を超え、ハルキウに1万2000平方メートルの「研究所」セットを構築するという、映画というより総合芸術プロジェクトの様相を呈していく。アドニエフの資金提供はこの年に終了している。
第3期(2022〜2026年) プロデューサーのフィリップ・ボベール(Coproduction Office)とフルジャノフスキーが製作を再開。2024年の追加撮影を経て、資金提供元はフェノメン・ベルリン、エッセンシャル・フィルムプロダクション、ソシエテ・パリジェンヌ・ド・プロダクション、プラットフォーム・プロダクション、アルテ・フランス・シネマ、そして2025年に設立されたばかりのIP Filmworksという、完全に西欧の共同製作体制に切り替わっている。
つまり『DAU』という一本の映画は、「ロシアの新興財閥によるオリガルヒ的パトロネージ」から「欧州公的助成+共同製作体制」へと、資金の性格そのものが移行した果てにできている。ウクライナ側の懸念は主に第2期の記憶に基づいており、ビエンナーレ側の反論は主に現在の第3期の実態に基づいている。この時間軸のズレこそが、双方が同じ映画について話しながらまったく噛み合わない主張を続けている構造的な理由だ。
2020年の炎上との対比——「政治」と「倫理」、燃える場所が違う
『DAU』が国際映画祭で炎上するのは、実は今回が初めてではない。2020年、『DAU. ナターシャ』と『DAU. 変性』の2作がベルリナーレのコンペに選出された際にも、大きな論争が起きている。
ただし、その炎上の性質は今回とまったく異なる。2020年の争点は資金の出どころではなく、撮影現場そのものの倫理性だった。非専門の出演者たちが「研究所」に長期間拘束され、そこで生まれた暴力的・性的なシーンが本当にどこまで演出でどこまで実際の被害だったのか、という疑義がロシアのジャーナリストたちから公開書簡という形で突きつけられた。フルジャノフスキー監督はこれを「よくある話を大げさにされた」と一貫して否定し、主演のナタリア・ベレジナヤ本人も記者会見で自らの意思による選択だったと説明したが、疑問は完全には払拭されないまま、撮影監督ユルゲン・ユルゲスが銀熊賞(撮影賞)を受賞するという着地になった。
要するに、2020年は「制作プロセスの倫理」を巡る炎上であり、2026年は「資金の出どころと国家との距離」を巡る炎上である。前者は#MeToo以降の映画祭の空気の中で立ち上がった論点であり、後者はロシアのウクライナ侵攻という地政学的な文脈の中で立ち上がった論点だ。同じ監督・同じプロジェクトが、時代の空気が変わるごとに異なる軸で審査され続けているとも言える。
構造としてどう見るか——パトロネージ型の対極にあるもの
Cine Go Round的な視点でもう一段引いて見ると、『DAU』が体現しているのは、Netflixのようなプラットフォームがデータドリブンなローカル・フォー・ローカル戦略で「回収可能な範囲」に投資判断を絞り込んでいく合理的な製作手法とは、正反対の資金調達モデルである。
『DAU』を可能にしたのは、一人の富豪の個人的な情熱による青天井の出資(第2期)から、それが尽きた後は欧州各国の公的助成と共同製作という「文化政策としての映画」の枠組み(第3期)へと乗り換えることで、20年という制作期間そのものを生き延びたという非常に稀で特殊な経緯だ。回収計画から逆算して規模が決まるプラットフォーム型の製作とは対極の、「まず作ってしまってから、その時々で資金の器を変えて延命する」という進め方でしか成立し得なかったプロジェクトだと言える。
その一方で、こうした出自の複雑さは、地政学的な緊張が高まるほど政治的な攻撃対象になりやすいという脆弱性も併せ持つ。今回の炎上は、『DAU』という作品の芸術的な評価とは別に、「巨大文化プロジェクトが長期間生き延びるために資金源を乗り換え続けること」自体が、平時には許容されても有事には遡及的に問い直される、という構造そのものを可視化した出来事だとも言える。
実は日本の観客にとって、このプロジェクトはまったくの初見ではない。『DAU. ナターシャ』は2021年2月27日、『DAU. 変性』は同年夏に、いずれもトランスフォーマー配給でシアター・イメージフォーラムほか全国の単館系劇場で公開されている。『ナターシャ』はミニシアターランキング上位に長期ランクインし、その反響を受けて『変性』の公開が急遽決定されるという経緯まであった。つまり日本には、このプロジェクトを一度「客が入る商品」として成立させた配給実績と観客基盤が、すでに存在している。
新作『DAU』のヴェネチア上映後の日本配給については、現時点(2026年9月)で正式な発表はない。ただし過去2作の配給実績を踏まえれば、トランスフォーマーが本作にも動く可能性は十分に考えられる。今回の政治的な炎上が、その判断にどう影響するか——追い風になるのか、慎重にさせるのか——は、本作の評価そのものと並んで注目される点になりそうだ。
『DAU(原題)』(2026年・ドイツ・フランス・スウェーデン・3時間15分)
監督:イリヤ・フルジャノフスキー
出演:テオドール・クルレンツィス、ラドミラ・シェゴレワ、アナトリー・ワシリエフ、マリア・ナフプリオトゥ、
ウラジーミル・アジッポ、ドミトリー・チェルニャコフ、デミアン・クドリアフツェフ、エカテリーナ・アンドレーヴァ 他
第83回ヴェネチア国際映画祭・コンペティション部門
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