
『オデュッセイア』は「完全形」で観られない――日本含むアジアにIMAX70mmフィルム上映館がゼロという事実
映画史上初、という達成
クリストファー・ノーラン最新作『オデュッセイア』(9月11日日本公開、マット・デイモン、トム・ホランド、アン・ハサウェイほか出演、配給ビターズ・エンド/ユニバーサル映画)は、全編をIMAXフィルムカメラで撮影した史上初の作品として喧伝されている。北米では7月17日に公開され、8月時点で世界興収は11億ドルを突破。IMAX上映作品としては歴代最高の興収記録を塗り替えたと報じられている。
日本でも9月4日から10日まで一週間のIMAX先行上映が組まれ、9月11日の一般公開を待たずに”体験”できる作品として大きく打ち出されている。
しかし、その「完全形」は日本にはない
だが、ここに一つ見落とされがちな事実がある。ノーランが本作で用いたIMAX 70mmフィルムというフォーマットを、フィルムのまま——デジタルではなく実際の70mmプリントとして——上映できる劇場は、日本を含むアジアに一館も存在しない。
つまり日本の観客が”先行上映”や”IMAX上映”という言葉で触れているのは、IMAXレーザーによるデジタル上映であり、ノーランが本来意図した超大判フィルムの物理的な粒子感や解像感を伴う体験ではない。宣伝文句としての「映画史上初、全編IMAX撮影」と、実際に日本の観客が受け取る体験の間には、静かだが構造的な断絶がある。
なぜ増やせないのか——フィルム上映インフラの希少化
IMAX 70mmフィルム上映がアジアに存在しない背景には、単純な需要の問題を超えた、上映インフラそのものの制約がある。IMAX 70mmフィルムはロール状ではなく、劇場の映写室に設置される巨大な円盤状の装置「プラッター」に載せて上映する方式を取る。このプラッターおよび対応する映写機自体が世界的に希少化しており、新規導入のハードルは年々上がっている。

日本の映画館におけるIMAXシアターは、そもそもデジタル上映を起点として普及してきた経緯があり、現在も主流はIMAXレーザーである。フィルム上映のためのインフラを一から整備するという発想自体が、これまで前提として存在してこなかった。
IMAX社はこうした状況に対し拡大の意向は示しているとされ、追加のフィルム映写機導入や新しい映写技術の検討など、あらゆる可能性を模索しているという。ただし、それが実現する時期については見通しが立っていない。
ノーランの原理主義的な作家性
この欠落を、単なる「日本市場の遅れ」として片付けるのは早計だろう。むしろ興味深いのは、ノーラン自身がこの物理的制約の”内側”で、限界を押し広げようとし続けてきたという事実だ。
本作の上映時間が2時間52分に収まっているのも、単なる編集判断ではなく、IMAX 70mmフィルムの物理的な限界に起因するという指摘がある。前作『オッペンハイマー』(2023、上映時間3時間)のIMAX 70mmフィルムは全長約11マイル、重さ約600ポンドに達し、既存設備の限界付近まで使い切っていたとされる。ノーランはこれまでもプラッターのさらなる大型化や、フィルムの固定方式の変更について、IMAX社側に要望を重ねてきたという。
つまりノーランにとってIMAXというフォーマットは、単なる撮影機材の選択ではなく、上映インフラのハード的な限界そのものと格闘しながら作品の尺や構造を規定していく、作家性の一部として機能している。
だとすれば、日本の観客がその”格闘”の結果である172分という尺だけを受け取り、格闘の舞台そのもの(70mmフィルムという物理メディア)を体験できないというのは、ノーランの作家性の半分しか届いていないとも言える。
それでも観る意味はどこにあるか
もっとも、これは「日本で観る意味がない」という結論には直結しない。IMAXレーザーであっても、通常のシネコンとは比較にならない没入感を提供することに変わりはなく、9月4日からの先行上映で実際に鑑賞した観客からも、映像の力強さを評価する声は上がっている。
ただ、”全編IMAX撮影”という宣伝文句を目にしたとき、それが日本ではどこまで再現された体験なのかを知った上でスクリーンに向かうのと、知らずに向かうのとでは、受け取り方が変わってくるはずだ。ノーランが20年かけて広げてきた物理的な限界の最前線に、日本の観客はまだ完全には手が届いていない——その事実こそが、次にIMAX 70mmフィルム上映館がアジアに誕生する日を待つ理由にもなる。
『オデュッセイア』(2026年・アメリカ・2時間52分)
監督:クリストファー・ノーラン
出演:マット・デイモン、トム・ホランド、アン・ハサウェイ、ロバート・パティンソン、ルピタ・ニョンゴ、サマンサ・モートン、ジョン・レグイザモ、ゼンデイヤ、シャーリーズ・セロン、ジョン・バーンサル、ヒメーシュ・パテル、ビル・アーウィン、エリオット・ペイジ、ベニー・サフディ、コーリー・ホーキンズ、ミア・ゴス、トラビス・スコット
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