
『ラブ・ハイポセシス』が体現する、恋愛離れ時代のロマンス供給経済
一見、きわめてオーソドックスなロマンティック・コメディである。親友に恋人がいると証明するため、生物学の博士課程に在籍するオリーヴがとっさに近くの男にキスしてしまい、相手が威圧感たっぷりの教授アダムだったことから偽装恋愛が始まる——筋書きだけ追えば、何十年も繰り返されてきた「偽装関係が本物になる」という王道トロープ(お決まりのパターン)そのものだ。
だが、この何の変哲もないロマコメが今このタイミングでPrime Videoから独占配信されるという事実の裏側には、需要と供給の両面でそれなりに読み解きがいのある構造が潜んでいる。

「恋愛離れ」という、使い古された言説
「今の若者は恋愛をしなくなった」という語り口は、日本では2010年前後からメディアの定番ネタになっている。国立社会保障・人口問題研究所の出生動向基本調査(2021年実施・2023年公表)によれば、18〜34歳の未婚者のうち異性と交際している割合は男性21.1%、女性27.8%。男性のピークは2005年調査の27.2%、女性のピークは2002年調査の37.0%で、そこから緩やかに下がり続けている。同調査では未婚者の約3人に1人が「交際相手を欲しいと思わない」と答えている。内閣府の2014年調査でも、20〜30代未婚男女の約6割に恋人がおらず、いない人の約4割が「恋人が欲しくない」、その最大の理由は「恋愛が面倒」(46.2%)だった。
米国側にも同型のデータがある。Institute for Family Studies(IFS)の2025年National Dating Landscape Surveyでは、若年成人の「積極的に交際中」は3人に1人程度にとどまり、交際に自信を持つ層は男性で3人に1人、女性ではわずか5人に1人。Bank of Americaの調査では、Z世代の半数以上が交際関連の月間支出をゼロと回答している。日米で細部は違えど、「恋愛市場からの自発的撤退」という構造そのものはかなり近い。
ただし、この「恋愛離れ」言説そのものが手垢のついた代物であることも、公平のために書いておく必要がある。恋人のいる割合はそもそもいつの時代も3割前後に過ぎず、今回の数字もその範囲に収まっているという指摘は以前から存在する。デート経験についても、40年前の水準に戻った程度で下落幅自体は小さいというデータもある。つまり「今の若者だけが特別に恋愛をしなくなった」という切り取り方には、かなりの誇張が混じっている。この記事はその誇張に乗っかるつもりはない。むしろ問いたいのは、この使い古された言説の”実態”と”誇張”の両方を抱えたまま、なぜロマンスというジャンルのコンテンツ供給量そのものは増え続けているのか、という点だ。
代理消費という補助線
ここで補助線として持ち出したいのが、実在の関係を回避する層ほど、フィクション上の疑似恋愛消費に向かう傾向があるのではないか、という仮説だ。今年6月に発表されたLovenseの調査では、日本の若年層において二次元キャラクターやVTuber、AIといった「実在しない存在」との関係性が日常に定着しつつあり、感情的な消費の対象としてそうした存在が拡大していることが報告されている。実在の恋愛市場が縮小する一方で、代理的な恋愛消費の市場は逆に肥大化している——という構図は、決して突飛な仮説ではない。
これはあくまで想像の範囲だが、フェイクデートの構造自体が、この代理消費の欲求と極めて相性がいい。通常の恋愛映画は「両想いになれるかどうか」という不確実性でサスペンスを作るが、フェイクデートものは違う。観客は最初から「これは偽装から本物になる話だ」と分かった状態で見始める。つまり告白や拒絶にまつわる本物のリスクが、物語の設計段階であらかじめ取り除かれている。振られる可能性のない疑似恋愛体験——これは、実際の交際に伴うコストと不確実性を回避したい層にとって、限りなく都合のいいフィクション形式だと言える。
BookTokで火がついた原作小説を買い付け──Prime Videoの調達戦略
需要側の仮説はここまでにして、供給側の話をしたい。すでに実務として観察できる動きだ。
Prime Videoは2024年に、同じく小説原作のロマンティック・コメディ『アイデア・オブ・ユー 〜大人の愛が叶うまで〜』をAmazon MGM Studiosの製作で配信している。これは劇場公開をほぼ経ずに配信直行という座組みで、原作ファン層をそのまま囲い込む形の調達だった。『ラブ・ハイポセシス』も同じパターンを踏襲している——BookTokで火がついた原作小説を買い付け、劇場興行のリスクを取らずに、あらかじめ購買意欲の高いファンダムに直接届ける。
これはNetflixのロマンスコンテンツ戦略とは微妙に異なる。Netflixはオリジナル企画やシリーズ展開を軸にすることが多いのに対し、Prime Videoは既存の原作ファンダムを”刈り取る”買い付け型の動きが目立つ。本数自体は多くないが、これは大手映画情報サイトがハリウッドスター出演作であっても配信直行作品の記事を薄くしか出さない傾向があるため、逆に言えばこのジャンルを継続的に追いかけること自体がニッチな読み応えを生むポジションでもある。
『ラブ・ハイポセシス』という実例
原作者アリ・ヘイゼルウッドは神経科学の博士号を持つ研究者で、「理系女子×天才教授」という設定は彼女自身の学術的背景を色濃く反映している。この”実体験に裏打ちされた説得力”は、権力勾配のある恋愛関係を扱う上での一種の安全装置としても機能しており、この点は別稿で作家論として掘り下げる価値がある。
監督のクレア・スキャンロンは『ジ・オフィス』『Superstore』などTVコメディの演出畑出身で、劇場作品よりもテンポと間の作り方にTVシットコム的な蓄積がある演出家だ。主演のリリ・ラインハートは『リバーデイル』のYA的ファン層を抱えたまま大人向けロマコメに軸足を移しつつあり、Amazonが6月にロサンゼルスで開いたヤングアダルト作品向けファンイベント「オブセスト・フェス」に両主演が登場していることからも、既存ファンダムの”卒業先”としてこの作品が設計されていることがうかがえる。
需要側(恋愛離れと代理消費)、供給側(Prime Videoの調達戦略)、そして個別の座組み(原作者のブランディング、監督の演出経験、主演の集客力)——この三層が噛み合ったケミストリーの結果として、『ラブ・ハイポセシス』という一見何の変哲もないロマコメが、9月23日にPrime Videoから独占配信されることになる。
縮小する恋愛市場と肥大化するロマコメ代理消費
恋愛離れが叫ばれる時代に、なぜロマンスというジャンルの供給量そのものは減らないのか。むしろ、実在の恋愛市場が縮小するほど、代理消費としてのロマンスコンテンツ市場が肥大化しているのだとすれば、これは皮肉な逆説と言うほかない。『ラブ・ハイポセシス』はその逆説を体現する、きわめて分かりやすいサンプルケースなのだ。
『ラブ・ハイポセシス』(2026年アメリカ)
監督:クレア・スキャンロン
出演:リリ・ラインハート、トム・ベイトマン、レイチェル・マーシュ、ニコラス・デュヴァネ 他
原作:アリ・ヘイゼルウッド(ニューヨーク・タイムズ紙ベストセラー小説)
配信:Amazon Prime Video
開始日:2026年9月23日
© Amazon Content Services LLC
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