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ポンペイ、雲の下に生きる、ジャンフランコ・ロージ

『ポンペイ、雲の下に生きる』――ロージはなぜ、3年半ナポリに住み込んで一人で撮るのか

タイトルから遺跡のドキュメンタリーを想像すると、少し肩透かしを食うかもしれません。ジャンフランコ・ロージが撮ったのは、ポンペイを見下ろすヴェスヴィオ山のふもと、ナポリの街とそこで暮らす人々です。公開前から「遺跡の映画だと思っていた」という感想も見かけます。

ロージは、『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』(2013年)でヴェネチアの金獅子賞、『海は燃えている イタリア最南端の小さな島』(2016年)でベルリンの金熊賞(アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞にもノミネート)を獲り、今作でも第82回ヴェネチア国際映画祭の審査員特別賞に輝きました。ただ、この記事で書きたいのは受賞歴そのものではありません。この映画がどう撮られたか、つまりロージという作家の「作法」です。

そして今回の作法には、過去作と違う点がひとつあります。


© 21UNO FILM SRL / STEMAL ENTERTAINMENT SRL 2025

ポンペイを見渡す

西暦79年、ヴェスヴィオ山の噴火で火山灰の下に消えた古代都市ポンペイ。その遺跡は、長い発掘と盗掘のなかで、往時の姿をとどめていません。一方、山のふもとに広がるナポリでは、垂れ込めた雲の下で人々の暮らしが続いています。

予告編には、30年にわたり考古学博物館で働く女性、遺跡の発掘にあたる東京大学のチーム、子供たちの勉強を見る人物、船からウクライナ産の小麦を下ろすシリア人の青年らが映っています。彼らを結ぶのは筋立てではなく、同じ土地に流れる時間です。


ロージの作法① 撮影は一人。助手は「専門家ではない地元の人」

ロージは自分の撮り方を、インタビューで「ワンマンクルー」と表現しています。今回の助手は、ナポリ出身の知人の縁でつながったロケハン担当のアルベルト・ランドルフィ。助手としての訓練を受けた人ではありません。最初はナポリを案内する役でしたが、ずっと行動を共にするうちに、そのまま3年間の相棒になったといいます。

少人数どころか、ほぼ一人で撮る。このスケールの映画で「カメラの前に、撮影チームの気配がない」ことの理由は、まずここにあります。

ロージの作法② 誰を撮るかを決めずに、現地へ行く

ナポリに着いた時点では、登場人物は誰も決まっていなかったそうです。Varietyのインタビューによれば、最初に出会ったのは、ポンペイで盗掘をテーマにした会議に登壇していた検事。ロージは声をかけて撮影を申し込みましたが、常に護衛をつけて動く多忙な人物で、最初に出会ったのに、撮れたのは最後だったと語っています。

そして、この作法を支えているのは製作体制です。ロージは、ひとつの土地に3年も滞在できる資金と信頼を与えてくれる製作者は他にいない、とプロデューサーのドナテッラ・パレルモに謝意を述べています。「偶然に身を任せる」撮り方は、作家の気質だけでは成立せず、それを許す座組みが要る、ということです。

ロージの作法③ 滞在の長さは、作品ごとに伸びている

過去作と並べると、次のようになります。

  • 『海は燃えている』:ランペドゥーサ島に約2年滞在
  • 『国境の夜想曲』:イラク、クルディスタン、シリア、レバノンの国境地帯を3年以上かけて巡る(公式資料より)。本人は撮影前に約半年、カメラを持たずに人と状況を集めたと語っています
  • 『ポンペイ、雲の下に生きる』:ナポリに約3年半(公式資料)。本人は「ほぼ4年」とも語っています

ここで注目したいのは、今回はカメラを回さない期間を置かず、最初から撮り始めたと本人が語っている点です。土地に慣れてから撮る、という従来の順序を、今回は崩しています。

ロージの作法④ 固定した視点と、色を消すモノクローム

ロージの手法の一貫性として、コミュニティのなかで長い時間を過ごすことと、固定したカメラ位置で目の前に人生が起こるのを待つことを挙げています。

モノクロの選択について、ロージは「重要な物語上の決断」と語っています。デビュー作『Boatman(ボートマン)』(1993、ガンジス川)でも、インドの民俗的な色彩を消すためにモノクロを選んだといいます。ナポリでも同じく、「色彩を抜く必要があった」と説明しています。さらに、モノクロは撮った現在をそのまま「現代のアーカイブ」にする、つまり撮影している瞬間に現在はもう過去になっている、という感覚を与えるとも述べています。

企画の入り口になったのは、ジャン・コクトーの「ヴェスヴィオ山は世界中の雲を作る」という言葉です。本人は、街の上に常にある雲を、場面に対するギリシャ悲劇の合唱隊のように感じていると語っています(Deadlineのポッドキャストより)。タイトルの「雲」は飾りではなく、構造の一部です。

ロージの作法⑤ 「制度」を一つ入れる

インタビューでロージは、自分の映画にはいつも「制度的な要素」を入れたいと語っています。今回それに選んだのが、ナポリの消防署の通報センターです。許可を得て入ったその部屋は、人々がさまざまな奇妙な相談を電話してくる、劇場のような場所だったと話しています。

Deadlineの紹介文には、1日に何度も現在時刻を尋ねてくる男性の逸話も出てきます。緊急事態とそうでない電話が同じ回線に流れ込む場所。固定されたカメラの前を、声だけの都市が通り過ぎていく場面として、映画の中でも印象に残る一節になりそうです。

ロージの作法⑥ 今回は、編集を撮影と並走させた

前作までは、編集は撮影が終わってから始めていました。Moveable Festのインタビューによれば、3〜4年のあいだ撮った素材を見返さず、最後に100〜150時間の記憶から選び取っていったそうです。

今回は違います。Varietyでは、撮影の最初から編集を始め、書き直し続ける作業だったと語っています。この並走が、映画に非常に明確な構造を与えたとも述べています。

なぜ今回だけ手順を変えたのでしょうか。人物、遺跡、街、空と、追うものが同時に多く、記憶だけで束ねるより、撮りながら構造を確かめる方が適していたのではないでしょうか。あくまで推測ですが、これまでの「滞在して待つ」作法が、今回は「滞在しながら組み立てる」作法へ一歩動いたと読めます。

ロージの作法⑦ 日本との接点:東京大学の発掘チーム

日本の観客にとって見逃せないのが、登場する東京大学の遺跡発掘チームです。Bunkamuraの公式ページによれば、ロージは本作の製作中、『旅するローマ教皇』の宣伝で来日した際にこのチームと出会い、意気投合して出演が決まったそうです。インタビューでは、その研究者が長年この地を発掘してきたことにも触れており、記憶と過去を生き返らせようとする情熱が印象的だったと話しています。

炎天下で黙々と作業を続ける姿は、遺跡の映画でも観光の映画でもなく、「時間を掘る人々」として、ロージの作法そのものと重なって見えます。


観た後に気になること

Q. ポンペイ遺跡のドキュメンタリーなのですか?
A. 遺跡は重要な要素ですが、主軸はナポリとそこで暮らす人々の現在です。ロージ自身、ナポリの複雑さを物語にしたと舞台挨拶などで語っています。

Q. 音楽は誰が?
A. ダニエル・ブルンバーグ。『ブルータリスト』(2024)で第97回アカデミー賞作曲賞を受賞した作曲家です。

Q. 東大の発掘チームは実在の人たち?
A. はい。公式サイトやコメントには、東京大学名誉教授の青柳正規さんの名も出ています。


結び

一人で、長く滞在し、誰を撮るかを決めずに、色を消して、固定した視点で待つ。ロージの映画づくりは、効率のよい作り方とは正反対に見えます。けれども、その遅さがなければ、消防署の電話口の声も、発掘現場の背中も、雲の下の日常も、映画のなかで同じ重さで並ぶことはなかったはずです。

遺跡ではなく、遺跡のある「暮らし」を掘る映画。 観る前にこの作法を知っておくと、モノクロの画面に映る何気ない時間が、少し違って見えるかもしれません。


『ポンペイ、雲の下に生きる』(2025年・イタリア・1時間59分)
監督:ジャンフランコ・ロージ
音楽:ダニエル・ブルンバーグ
配給:ビターズ・エンド
公開:2026年10月2日(金)Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開
© 21UNO FILM SRL / STEMAL ENTERTAINMENT SRL 2025


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