
フィクション=天国と地獄の狭間『リンボ』からのノンフィクション=苛烈な香港デモの記録『時代革命』というバトン
東京国際映画祭で上映された、ほぼ全編モノクロームで現代の香港を捕え、猟奇的犯罪を繰り返すサイコパスを追い詰める映画『リンボ』。
そして東京フィルメックスにて前日まで内容は知らされずサプライズ上映された、香港民主化デモの行方を追った白煙に塗れた2時間半の灼熱ドキュメンタリー『時代革命』。
同じ現代香港を舞台にし、かたや小説原作のクライム・ストーリーと、香港デモを追った痛々しいまでの映像記録は、奇しくも東京で同時期開催の二つの映画祭から放たれた。
一見、関係のない2作品ではあるが、『リンボ』を観た後、最終日にサプライズというプレゼントで特別上映された『時代革命』を観るとまるで形の合わないジグソーパズルを延々と合わせ続けるような憂いとやるせない思いが胸に迫って来た・・・
フィクション、ノンフィクションを超えて、辺獄から抜け出す未来のために・・・
今年6月、香港政府は国家安全維持法に基づく映画への検閲が強化された。
そして、10月27日、新作だけでなく過去に作られた映画も検閲対象にするという新たな方針が条例改正案として可決された。
香港電影城と呼ばれ、映画に自由と活気があったアジア随一の都市が香港であったが、長らく続いた香港映画についに厳冬の時代がやってくる。
東京国際映画祭にて鑑賞した『リンボ』は、ほぼ全編モノクロームの映像で廃墟を思わせるスラム街の美術演出が圧倒的で猟奇連続殺人事件の捜査を縦軸に登場人物たちのそれぞれの贖罪についての苦悶の物語が展開される。
カラーで撮影されたものだが超絶的なハイコントラストのモノクロにすることで風景の中の見せたくないものを黒く塗りつぶし、映像上の情報量を削り取ることで雨が降っていようとキャラクターの表情が浮き立つという結果をもたらす。
あそこまでハイコンのモノクロ映画は非常に珍しい。まるでグラフィック・ノベルのようだ。
何故モノクロにしたのかという理由をソイ・チェン監督は、東京国際映画祭のプログラム・ディレクター市山氏とのリモートQ&Aでテストで一部モノクロにしたら思いのほかよかったので、といった副産物的な効果と答えていたが、もっと色々と都合のよい理由が後付けでいくつか出てきたんじゃないのか?と感じていた。
モノクロにすることでロケ地、香港というイメージはかなり減衰し、無国籍感が漂う。あえて香港というエリアをフォーカスさせたくない、そういったことも映像加工の演出的な狙いの一つだったのではと推察した。
カラー版が、もし公開されるようなことがあれば、また印象や文脈や解釈が少々変わってくるのだろう。
このセンシティブな時期に香港で作られたクライム・アクション映画であるが、色々と推測を始めるとキリがない作品でもあり、その余白の部分がミステリアスで興味を惹く映画と感じた。
続いて数日後、東京フィルメックスにて、特別招待作品Aとだけスケジュールには記載されていた、香港デモを追ったドキュメンタリー映画『時代革命』を観る。
撮ったキウィ・チョウ監督も闘い続けている市民の人々も皆、命を張っていることに心が揺さぶられる。
古くより世界中から多くの人々が訪れ、観光や買い物、食を楽しみ、誰もが愛してきた都市、香港で、決死の覚悟で一般市民が警察と衝突して内戦状態のようになっている街の様相を目の当たりにして、自分も含め、多くの観客が涙していた。
1997年の夏、筆者は『タイフーン・シェルター』というフジテレビで放送されたドラマとドキュメンタリーをミックスした特別番組製作の演出で1997年の香港返還の時、香港に暫く逗留していた。
タイフーン・シェルターは、香港島、コーズウェイ・ベイにある避風遁という静かな湾のことで今も多くの人々が船上生活をしている。
撮影クルーと共に九龍塘にアパートを借りて、一か月間、様々な市井の人々を追ったドキュメンタリー撮影と香港返還に複雑な思いを巡らす人々を描いたドラマの撮影を行い、撮影はクリストファー・ドイル、撮影技術部はウォン・カーウァイ映画の撮影クルーB班に担当していただき、浅野忠信、緒川たまき、カレン・モク、ジャクリーン・ロウ、チャン・マンロイといった俳優陣と共にドラマの撮影を香港返還の日まで日夜、撮影していた。
当時は、長らく続いた撮影でグッタリとした身体のまま、一体、この街はどうなっていくのか?と暗澹たる心持で返還の日を迎え、東京へと戻ったことを覚えている。
あの時の気分は、晴れやかな心は微塵もなく、華やかに感じられたのは返還の晩に打ち上げられた派手な花火だけだった。
香港を歩き回って見つけた撮影ロケーションだけはとにかく面白かったが、腐心してドラマを演出したり、取材をコーディネートして取材対象を追ってみても返還で揺れる街の心裏は見えてこないと感じていた。
企画当初の自分のプランは天使と悪魔をイメージした香港人の双子の少女が傍観するようにして市井の人々のリアルな生活の中を出たり入ったりするというだけのドキュメンタリーで、ほんの数人の撮影クルーのみで16ミリ・フィルムを回し、撮影は神戸の映画祭で出会った時に自分が直接、口説き落としていたクリスで決まりで、そもそもテレビ局もよく仕事をし慣れ親しんでいた当時のテレ東で放送したかった。
予算も16ミリが使えれば低予算でなんとかするつもりだったが、大手広告代理店が付いて、放送予定のテレビ局も変わり、ドラマは35ミリフィルムを使うこととなり、キャストは素晴らしかったが、本来、やりたかったドキュメンタリーの中にフィクションの人物が出入りするという作りではなく、ドキュメントとドラマを分けざるを得なくなった。本来、狙っていた内容のものとは大きく乖離していったのだった。
作品は無事完成し放送もされたが、自分はあの頃の香港の人々のほのかな期待と答えが出てこない混沌とした不安を描けたとは思えなかった。
あれから24年の歳月が流れ、ほのかに期待していた中国の民主化が進むことは全くなく、一国二制度の下、ロードマップ上の現在の香港は明らかに中国の植民地となる途上だ。
浅野忠信が演じた流れ者ホンコンが返還後にヒッチハイクして消えたようにあの時を前後して多くの香港市民が他の国へと移住していった。
一国二制度の下では、悪くなるばかりだと嘆き続けた娘を演じたジャクリーン・ロウは、病気で何年も前に他界してしまった。どうしたらよいのか分からず、家族を置いて深夜の香港を一人放浪した迷い人、中華の食堂店主を演じたチャン・マンロイは、くだんの職業である重慶マンションの管理人に戻っていった。
白人であるが、自由な香港人そのもので享楽的な生き方を旨とする撮影のクリスは、その後、まるで浅野忠信が演じた流れ者ホンコンのその後を描いたかのような初めての映画監督作『孔雀』を浅野忠信主演で撮り、雨傘運動が始まると自分なりに考えた香港の現状についての内省的なドキュメント作品も発表した。
あの頃、想像だにしなかった未来の最悪の地獄絵図が現在の香港である。
自由な経済活動を享受し、平和を愛すノンポリな人々、香港人があんなに怒るとは想像もしていなかった。
前述のように世界へとS.O.S. シグナルを発信する最後の切り札なのかもしれないアート・文化を通して、抵抗を続けようとする動きにも香港政府による超強権な検閲という手法で封じ込め作戦が始まりつつある。人々の日々の楽しみである映画の表現の自由を奪うとは戦慄すべき事態である。
21世紀の世にあって、不穏分子の芽は一人残らず摘み取り、残った香港の大地には物言わず花も咲かない地味な草だけが生えているというのではあまりにも哀しい。
ただ『時代革命』のラストで、筆者は、確かにSWELL(=うねり)を感じ取った。
自分が長らく親しく思ってきた隣人、香港は死んだのか?
否やである。
飛行機で4時間ほどで行ける隣人の身に起きているこの辺獄は、対岸の火事と捉えてはならない。
近くには台湾があり、沖縄だってあるのだ。
未来に起こりうることを懸念して、危急の事態として捉えるべきだ。
香港の人たちはとても困っている。助けを求めているのだ。
『リンボ/Limbo』

Story:
現代香港のカオスのようなスラム街。
そこで起こる猟奇的な連続殺人事件を追うベテラン刑事ザム(ラム・カートン)、新任のエリート刑事ウィル(メイソン・リー)とザムの妻を彼の目の前で轢いてしまった過去を持つ少女ウォントー(リウ・ヤースー)は、生きるために車の窃盗を繰り返していた。
植物人間となってしまった妻を看ているザムはウォントーに対して絶えず罪を贖うことを暴力的に問い続ける。
ザムと妻、そして罪を犯したウォントーの三人三様の苦しみ惑い続ける様は、まるで辺獄にいるよう。
そして、スラム街で起こる女性だけを狙った左手首を切り落とす猟奇的な連続殺人事件の真犯人は、次第に2人の刑事とウォントーに忍び寄ってくるのだった・・・。
Behind The Inside:
『リンボ』は中国のネット小説が原作、元々は中国本土が舞台であったが、キャラクターのイメージはそのままに撮影場所を香港に置き換え、ただ香港とは特定せずにストーリーは展開するが、映像に映されたところはまぎれもなく香港以外の何処でもない。
ストーリーのほぼ99%が全編白黒のモノクローム画面であり、これはカラーで撮影した後、編集段階で、たまたまテストで一部をモノクロにしたところ、望んでいた世界観がより明確になったため、モノクロームを採用したのだという。
モノクロにした結果、登場人物たちの心情がより浮き彫りになり、禍々しい廃墟のようなスラム街の姿が強調される効果をもたらした。
Awards:
- アジアン・フィルム・アワ―ド:最優秀録音賞・ノパワット・リキットウォン、最優秀プロダクション・デザイン賞・ケネス・マク
- シッチェス・カタロニア国際映画祭:最優秀撮影賞・チェン・チュウキョン
- ウディネ極東映画祭:マイ・ムービーズ賞・ソイ・チェン

『リンボ/Limbo』(2021年・香港・中国・1時間58分)
監督:
ソイ・チェン
出演:
ラム・カートン、リウ・ヤースー、メイソン・リー、池内博之
©2021 Sun Entertainment Culture Limited. All Rights Reserved
第34回東京国際映画祭にて上映‼
第34回東京国際映画祭(2021)
第34回東京国際映画祭 2021年10月30日(土)~11月8日(月)【10日間】[会場]日比谷・有楽町・銀座地区にて
『時代革命/Revolution of Our Times』

Story:
2019年の「逃亡犯条例」改正案への反対運動以降、活発化した香港の民主化デモ。
だが、中国当局による更なる監視により、自由主義が急速に失われてゆく香港。
青少年から大人まで香港市民が真っ向から警察と対峙して戦い続けた抵抗の記録。
2019年半ばから約1年かけて撮影した上映時間2時間半の白熱のドキュメンタリ―映画。
Behind The Inside:
今年開催のカンヌ国際映画祭で6月16日にサプライズ上映された『時代革命/Revolution of Our Times』。
その後、東京フィルメックスで映画祭最終日の11月7日に特別上映Aとして、スケジュールには掲載されていたものの作品内容は、上映前日まで未発表のままであった。
満員御礼での『時代革命』上映中、場内では絶えずすすり泣きが聞こえてくるほど、本作は観客の心の中をえぐり続けた。
その後、オランダ、アムステルダムで開催の国際ドキュメンタリー映画祭アムステルダムにて11月18日に上映され、11月22日には台湾のアカデミー賞と呼ばれる台北にて開催の金馬奨において上映される。
こうして世界の映画祭を結節点として、本作の存在の重みを発信し続けている。
今後、『時代革命』はアメリカ国内でどう受け止められてゆくのか?
アメリカ東部、NY、そして、アカデミー賞にまで辿り着いてゆくのか?は、全くの未知数。
カンヌの後にいち早くフィルメックスで上映されたという非常に貴重な事実は映画ファンのみならず、長く記憶に留めておくべき出来事であろう。
映画を商業としての役割だけでなく、メッセージを携えたアート・フォームとしてそこに集った限られた人々へ上映して、伝搬してゆく。
映画祭が担うもう一つの大事な役割を東京フィルメックスはシレッとやり通す。
映画祭の中の映画祭たるところがある。
日本での劇場公開が待望される。

『時代革命/Revolution of Our Times』(2021年・香港・2時間32分)
監督:
キウィ・チョウ
© Haven Productions Ltd.
映画『時代革命』公式サイト
2019年、香港で民主化を求める大規模デモの最前線、壮絶な運動の約180日間を多面的に描いたドキュメンタリー映画『時代革命』2022年8月13日(土)より、ユーロスペースほか全国順次公開