エコロジカルなモダン・フェイブル『悪は存在しない』
『ドライブ・マイ・カー』(2021年)で濱口竜介監督とタッグを組んだ音楽家、石橋英子のライヴ演奏時の映像として、企画・撮影された映像作品『GIFT』から派生した映画が本作となる。
『悪は存在しない』は映画の作法で撮影され一本の映画が仕上げられ、同じ撮影フッテージから抽出して石橋英子のライヴのための映像作品『GIFT』が作られた。
大概の映像作家が抜け出すことができなくなる規定の映画ジャンルという呪縛をかわすかのように、もしかするとジャンルの網羅を制覇するかの如く、本作は過去の濱口作品とも一味違う。
東京芸術大学大学院映像研究課で師事した黒沢清監督の中期の作風を思い起こさせる、静けさの中にもスリルを感じさせるエコロジカルな寓話は早くも世界的評価を得ており、第80回ヴェネチア国際映画祭においては5賞に輝くというなかなか真似のできない快挙を成し遂げている。
審査員大賞となった銀獅子賞以外にも批評家連盟賞、そして、ミラノのフィルム・アーカイヴが主催する賞など、付随賞を3賞も受賞しているのだ。
この渡しすぎなほどのお土産を託された作品への評価と作家への絶大なる期待は、エマ・ストーン主演のギリシャの鬼才ランティモスの新作には敗れたが、つまり大賞に当たる金獅子を獲ってもおかしくはないほどの熱狂をもって現地で迎えられたいう証左なのではないのだろうか。
Story:
豊かな自然と山々からのピュアな水源に育まれた高原地帯、長野県水挽町。
近年は都市部からの移住者が増え、緩やかに発展し続けている。
美しい自然と共にのびのびと暮らす巧(大美賀均)とその娘、花(西川玲)の自然に向き合った暮らし方もとても慎ましやかである。
だがある日、コロナ禍で経営難となった芸能事務所が政府の補助金を利用して金儲けのためのグランピング施設の建設計画を発表したことから、静かだった町の人々の生活は一変することになる。
更に施設の排水が水源に流れ込んで汚染されることが判明し、穏やかだった人々の暮らしは徐々に脅かされてゆく。
そして、巧の生活にも不穏な影が差し始めるのだった・・・。
Behind The Inside:
スタッフとキャストの垣根がないダイバーシティな撮影現場
過去の濱口監督作では演技経験のない女性たちによる名演により、映画『ハッピーアワー』(2015年)がロカルノ映画祭で主演女優賞を受賞している。
本作で巧を演じた主演の大美賀均は、普段は濱口組の制作スタッフの一人であり、地元住民を説得する会社員を演じた小坂竜士も車両部のスタッフで、『ドライブ・マイ・カー』(2021年)の制作時にも元々俳優ではあるが、車両部の運転手の一人であったという。
ロケハン時にロケ想定地でスタッフの大美賀均にスタンドインしてもらい、その佇まいの印象が濱口監督にインスピレーションを与えたところから、大美賀に主役の巧役が決まり、小坂竜士もまた続いて配役されたのだという。
本作の撮影中も彼らは演者だけでなく、時には運転手もこなしている。
インディーズ的な映画製作で、気の合う仲間たちが集い、皆が助け合いながら、メソッドを持った監督が中心にいて腕によりをかけ映画制作が進行する。
少人数という意味ではかつてのエリック・ロメールの撮影スタイルのようではあるが、ハリウッドにあるような様々な労働組合や、日本でいうところの製作委員会形式や俳優事務所、映画の配給・制作会社などに足をすくわれることなく目的を遂行し、完成した映画が世界で認められ、受賞し続けていることは、ダイバーシティが叫ばれる昨今、大いなるヒントがあるのではないのだろうか。
Awards:
- 第80回ヴェネチア国際映画祭:コンペティション部門正式出品作(全5賞受賞)、銀獅子賞(審査員大賞)、国際批評家連盟賞、ミラノ・シネテカ・イタリアーナ・特別表彰授与、ファイ・ファウンデーション・コラテラル賞、学生審査員賞
- 2023年ロンドン映画祭:コンペティション部門・作品賞
『悪は存在しない/Evil Does Not Exist』(2023年・日本・1時間46分)
監督:
濱口 竜介
出演:
大美賀均、西川玲、小坂竜士、渋谷采郁、菊池葉月、三浦博之 他
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